いまは“多様な女性の生き方”の過渡期、現状を悲観せず生きやすい道を選ぼう
サイゾーウーマン担当者から「女性にとって産む・産まないをテーマに連載をしませんか」と誘われ、2013年9月に始まった「うまないうーまん」(このふざけた連載タイトルを考えたのは私だ)、今回で最終回である。
20回にわたる、この連載を振り返ってみよう。
「出産を神格化・扇動する声に思う、“産むか産まないか”は本当に女の一大事!?」では、フィギュアスケートの安藤美姫選手が出産を発表し、父親について明らかにしなかったことに対して、「週刊文春」(文藝春秋)が「安藤美姫選手の出産を支持しますか?」というアンケートを行ったために、「シングルマザーを否定するのか」などとネットが炎上し、謝罪に追い込まれたことから、「正しい出産」しか許されないプレッシャーについて考えた。安藤は父親を明らかにしないまま、スペインのフィギュアスケート選手、ハビエル・フェルナンデスと交際していることを報告した。安藤の子ども以外は「父親を知る権利」はないと私は今も思っている。
「“草食男子”の二の舞い? 『女の敵は女』を喧伝するおやじ週刊誌」では、 2012年に安倍政権になってから、「育休3年、赤ちゃんだっこし放題」「女性手帳」「不妊治療助成金の年齢制限」などが話題になり、さらに2013年のおやじビジネス雑誌が「働く女」や「女の出産」についてうるさく書いたことから、私の名付けた「草食男子」も若者を褒めるつもりだったものが若者叩きの言葉になったように、おやじメディアが女性同士を競わせ、女性叩きをすることを批判した。「女の嫌いな女」や「女の敵は女」というのは、非常におやじメディア目線なのである。
「『同じ女として』『同じ母として』は、女性の多様性を制限する魔の言葉」では、2回目のコラムに続き、「女の敵は女のこともあれば男のこともあるし、女の味方は女のこともあれば男のこともある」こと、「“女の敵は女”と煽って、高みの見物をするおやじには気をつけよう」、そして「女同士の関係の難しさに“特殊性”があるとすれば、それは“同じ女”という幻想を共有・強要されること」であり、全ての女性について“同じ女”と思う必要はないと書いた。
「『女性差別』は悪化してる? 女性を取り巻く『痛い』『こじらせ』の新たなしんどさ」では、「同じ男」や「同じ父」の場合は「男性の多様性を制限」しないのか、「同じ女」が助け合い結束するのはだめなのか、男も女も「らしさ」にこだわるなと言うがやっぱり男女の差は大きいのでは、最近ネット上での「女性差別」がひどいのだから逆に「女」であることを意識してしまうのではなど、読者からの質問に答えている。
「出生率は変わらないのに、『セックスしない国・日本』を問題視する不思議」では、国内外で日本人のセックスレスが話題になっていることを取り上げた。日本は年に50回弱のセックス回数で世界最低だが、年に140回弱のセックス回数で世界最高であるギリシャも、出生率は1.5人で、日本の1.4人とさして変わらないこと、さらに先進国で出生率が高いのはアメリカ(2.1人)やフランス(2.0人)やイギリス(1.9人)で、その理由は「女性が働いている」「子供を預けやすい」「教育費が安い」などがあると言われており、日本の都道府県でも同じ傾向があることを書いている。