サイゾーウーマンカルチャー“性”を歌う不思議ちゃんが勝ち得たもの カルチャー 米澤泉氏の「不思議ちゃん」考 戸川純、椎名林檎、大森靖子――“性”を歌う不思議ちゃんが勝ち得た、女子の生き方とは? 2014/12/14 19:00 椎名林檎不思議ちゃん大森靖子戸川純米澤泉 『TOGAWA LEGEND SELF SELECT BEST&RARE 1979‐2008』/Sony Music Direct(Japan)Inc.(SME)(M) ■不思議ちゃんの誕生 不思議ちゃんとは何とも不思議な言葉である。本人は決して自分が不思議ちゃんだとは言わないし、自分のことが不思議であるとも思っていない。でも、不思議ちゃんになろうとする。不思議ちゃんと呼ばれようとする。誰に? たぶん世間に。そしておそらく男の人に。そう、この言葉を最初に使ったのは、やっぱり男性だった。女の生理や性を歌いながらも、奇抜なコスチュームと個性的なパフォーマンスで世間や男を煙に巻く彼女たちを不思議ちゃんと呼びカテゴライズしたのは、彼女たちの存在を扱いかねていた男たちだったのだ。 女の子たちは、不思議ちゃんの出現を歓迎した。「あ、あたしもコレで行こう!」――ちょっとばかり自意識が強く、個性的でありたいと思う「女の子なら誰でも」そう思ったに違いない。 不思議ちゃんになるには、どうすればいいのか。答えはただ1つ。「あたしは不思議ちゃんになる!」そう心に誓えばいいのである。美人と一緒だ。「私は美人」と強く念じればいいのである。いや、もっと簡単かもしれない。美人ほど「女子力」を高めなくてもいいもんね。では、本邦初の不思議ちゃんは一体誰なのか。今を遡ること約30年。誰よりも早く、不思議ちゃんと呼ばれた女性がいた。戸川純である。 ■80年代の「玉姫様」戸川純 1980年代に不思議ちゃんは華々しくデビューした。かの高橋源一郎に「不思議な女の子がやってくるのだ」と言わしめた戸川純。確かに、ウォッシュレットのCMに、頭には花、ミニのワンピースという姿で登場し、「おしりだって洗ってほしい」とつぶやくのは、クール・ジャパンという言葉もなかった1980年代初頭には、かなり「不思議」なパフォーマンスに思われただろう。 今でこそ、三十路や四十路を超えて、あゆも梨花も頭に花ぐらい平気でつけるが、80年代に二十歳を過ぎた女性がキティちゃんのように頭に花をつけるのは勇気のいる行動だった。しかも、その格好で「おしりだって洗ってほしい」である。このCMは戸川純と不思議ちゃんの存在を一気にメジャーにしたが、なんといっても戸川純の真骨頂は1984年に発表された歌手としての「玉姫様」である。 「ひと月に一度 座敷牢の奥で 玉姫様の発作がおきる(中略) 中枢神経 子宮に移り 十万馬力の破壊力 レディヒステリック 玉姫様 乱心」(「玉姫様」より) という具合に、彼女は女の生理そのものを、ランドセルを背負った小学生や巫女の姿で歌ったのだ。最もオンナを感じさせる歌詞に、最もオンナを感じさせない衣装。女なのか? 少女なのか? 周囲の期待を裏切るこのアンビバレントさこそ不思議ちゃんの神髄だ。もちろん、戸川純本人も「生々しくなりすぎないようにバランスをとっていた」と当時を振り返っている。 当初から不思議ちゃんというのは非常に戦略的なのだ。確信犯的なのだ。だから、ともに80年代を生きた戸川純と同世代の香山リカは、デビュー前の彼女が実はJJガールっぽい女子大生だったと述べ、エキセントリックな戸川純像が演じられたものであることを指摘しているが、そんなことは百も承知なのである。彼女は、80年代の初めに「不思議ちゃんで行こう!」と決心したにすぎない。戦略的に元祖不思議ちゃんを演じきったのが戸川純だったのだ。 123次のページ Amazon 『「女子」の誕生』 関連記事 "女子"が"オンナ"を凌駕する! ファッション誌の変遷から見た女の生き方「モテに翻弄され続けた世代」20代後半女性の“女性誌カルチャー”と“くすぶり”の遍歴「反オヤジマインドの敗北」――ギャル雑誌の衰退が女子カルチャーに残す課題女子カルチャーの新局面? ギャル系・カワイイ系でもない1990Xとは「東京は希望」「東京には何もない」山内マリコ×中條寿子の女子と地方