セフレをこき下ろす「steady.」自身に感じた、“意図せずセフレになりがち”な女の特徴
一方で男子の座談会はというと、「セフレはやっつけ」だの「セフレは性欲の解消のみ」と、妙にセフレを目の敵にする内容に。この過剰なセフレバッシングを載せる「steady.」の意図はなんなのか。筆者が読む限り、それは読者への「セフレは都合の良い存在だから、ならないように!」という注意喚起ではなく、読者の「セフレになる女とかほんとありえない! 私たちはそういうタイプじゃないから」というプライドをくすぐっているのではないかと思います。自己主張が苦手な地味OL像が浮かび上がってくる「steady.」にとって、一見性にだらしないセフレ女性は、唯一自分が上に立てる存在と思っているのかも。そもそも「steady.」なんていう雑誌名にもそのプライドを感じさせます。
しかし、本来憎むべきは、セフレをぞんざいに扱う男性の側なのに、男性の欲望には甘い「steady.」に、なんとなく意図せずセフレにされる女子の片鱗を見てしまうのは筆者だけでしょうか。「steady.」が繰り返し誌面で伝えている“愛されたい願望”は、実は意図しないセフレ女子を増やしているのではとすら思うのです。
毎号、「steady.」の行く末を案じている筆者からすると、やはりタイトル通り、「steady.」はとことんまで彼氏のステディを目指す雑誌になった方がよいのではと感じます。ときにはアメとムチを使い分けて彼氏を虜にし、それを誇示してイヤミになるくらいの雑誌になれば、ほかの雑誌との差別化も図れるのではないでしょうか。
■無難路線はもう限界!
そんな「steady.」の中で、最近注目して読んでいる連載が「恋の赤ペン先生のなんだかデート日和なんだ」。今月は恋の赤ペン先生(男性)が、大阪に住んでいるバツイチ女性とデートをしたエピソードがつづられています。
赤ペン先生いわく、その女性は、仕事疲れのために口数の少ない自分を気遣ってか、「もっと知りたい、もっと知って!」というモードを封印して、他愛のない会話をしてくれ、それがとても心地がよかったとか。まぁ、なんということもないデートのエピソードなのですが、このコラムを読んであらためて、「steady.」の恋愛ページに足りないのは、男性との微妙な空気を大事するといったリアリティのあるエピソードなのではないかと思ったのです。
「steady.」の恋愛ページは、「あちらを立てればあちらが立たず」と全方位に嫌われないことを気にしているため、自己啓発的な指南に偏り、しかもそれすらあいまいでつかみ所のないものばかり。合コンに出席しても、無難なファッションでひたすら聞き役に徹し、顔と名前を憶えてもらえない……そんな女子になりたい人って、今どのくらいいるんだろうと、「steady.」を読むたびに思うのです。であれば、OLの光の部分であるリア充な生き方も、影の部分である手痛い恋愛話なんかも全部リアルに描くといったページを見てみたいものです。
女性にだって欲望もあるし、今はそれを追い求めることを批判される時代でもありません。もちろん、無難で嫌われないようにふるまう方がいいシーンはあるでしょうが、それ以外はワガママな一面を押し出した方がいいと思うのです。「steady.」が無難路線を続けている中で、どんどん雑誌の勢いがなくなっているのは、世の中の女子が“無難”に飽き始めている証拠なのかもしれません。
(芦沢芳子)