「黒子のバスケ」公判で被告が饒舌に語った、“努力”と“自分設定”の奇妙さ
1)漫画家を目指して挫折した人
2)新大久保の住人
3)同人誌販売の片隅に生きる人
そして「反省しろと言われるが自分が反省しないには3つの理由があります」と語った。その内容とは、
1)30年虐められてきて、対人・対社会恐怖を抱えて檻の中に長い間監禁されていた。暴れることで檻からやっと脱出できたら、謝罪と反省を求められている感覚だから。
2)社会に迷惑をかけた反省しろというが、自分にとっては成果である。ちょっとした悪戯がエスカレートしただけと思われているが、そうではない。事件の認識が離れすぎている。
3)詫び状を書いたり泣きながら謝ったりする方がよいだろうが、そういうことはやってはいけないと思っている。
また被告は「恨むべき8人がわかったので再犯はない」と語ったが、その8人とは
1)自分の両親
2)特に酷い虐めをした3人
3)虐めに対応してくれなかった小学校の教師2人
4)塾で酷い対応だった講師1人
こうして数字をカウントしていく様子に、私は映画『セブン』を思い出した。何かをカウントしていくことで動機を明確にし、相手に贖罪を迫るのだ。最後に恨むべき人を上げているところが不気味とさえ思えてくる。
被告いわく、特に広域重要指定事件に興味を持っていたという。今回の犯行もグリコ・森永事件と赤報隊事件を参考にしたと述べている。うれしそうに指定番号をすらすらと述べるところもいかにもマニアらしい。また、自分の犯罪をほかの大きな犯罪になぞらうところが、自分の功績を称えるふうにも見える。
■原因は親に?
被告曰く、犯行のもともとの原因は「自分のやりたいことを全て止めさせられた」毒親にあるという。毒親に育てられたらみんな犯罪を起こすのか? とも思ったが、被告の親の性質ついては、横須賀という風土が非常に影響しているとも思えた。
横須賀は米軍基地があって一般的にはアメリカナイズされたイメージだが、実際は横浜の隣にありながらそことは一線を画す、保守的な田舎町なのだ。東京に1時間弱で通える場所とはいえ、給与水準が都内より2~3割低い。年寄りばかりの土地なので街でお金を落とす確率が低い。そのため東京・横浜から進出してくるチェーン店は次々閉店の憂き目にあう地味な街だ。どぶ板通りカッコいいじゃん! と思われがちだが、中では意外な封建主義がはびこっている。そんな土着的な古い体質が、被告の親の裏にはあると思わされた。しかし、被告が横須賀高校出身なのにはちょっと驚きだった。横須賀高校とは小泉純一郎元首相や窪塚洋介の出身校。親に殺されるかもしれないと思い詰め勉強したそうだが、そう簡単に地区トップ校には入れるものではない。
■努力に対しての語り
「負け組にさえなれなかった自分に、そういうものを全て持っている人物(藤巻氏)を見つけてしまった。その運が事件を起こした動機。努力は先に報いがあるのが前提。欲しいものが手に入らないと思っていたので、努力と報いがリンクしない。努力するとさえ思いつかなかった」と話をしていた。弁護士が差し入れた本の影響なのかもしれないが、努力が報われない話はタイムリーすぎる気がした。まさに為末大の『諦める力<勝てないのは努力が足りないからじゃない>』(プレジデント社)の影響を感じる。ちょっとできすぎな気がするのは気のせいだろうか。
今回、被告の話を聞くと新たな“設定”をいくつか増やしている。それを被告のように挙げていくとすれば、
・毒親に虐待された自分
・犯罪マニア
・努力さえできない自分
・恨むべき人を特定した自分
の4つである。前回の陳述を訂正し、新しい設定をいくつか提示したのだ。裁判官が、「今の話は得意のウソ設定ではないですよね?」と最後に質問したのが秀逸だった。そう考えると最初に見せたイキイキした表情は自己啓発セミナー帰りの人々のようにも思える。彼らは大抵自分の作った新しい設定に酔っているからだ。
今回意見陳述を聞いた中で一番真実らしかったのは、毒親の話。母親が一度も面会に来ていないというから本当なのだろう。しかし、被告は進学塾でも中学校でもトップを狙えるほどの頭の良さだった。新しい設定と物語を頭の中で紡ぐことなどたやすい。事件を起こしたのは、自分のコンプレックスを突く人物である藤巻氏を見つけてしまった「運」だと語っていたが、ある意味、優秀な頭の使いどころを間違えたといっていい。同じ使いどころでも小泉は政治を見つけ、窪塚は映画を見つけたのだ。まさに本人のいうように「運」でしかない。広がりすぎた物語のまとめは難しいだろう。判決は8月21日。懲役4月6月が求刑されているが、どんな終わりを迎えるのか興味深く見守りたい。
(中島ホタテ)