幸せな主婦像から脱却した「VERY」、わかったふうな顔の裏に潜む「複雑な牽制合戦」
こういった「VERY」の傾向は、「女性同士のコミュニケーションとしてのファッションとは何か」に媒体の意識が向いている証しなのではないでしょうか。ライバル心をむき出しにして女同士の仲に波風を立たせず、「これってオシャレだね」とお互いを認め合えるような手段としてのファッションを、「VERY」は推奨している気がします。
そこには、女性同士がいがみ合う姿のかっこ悪さを、他人に指摘されることの恐怖心を感じます。オシャレを楽しみたいという気持ちと相反するその恐怖心をなくすために、「VERY」は「女同士で共闘する」ことを選んだのではないでしょうか。もちろん、それが本心であるかどうかは、定かではありませんが……。
■広告ページに残った往年の「VERY」イズム
「VERY」が、どんどん「わかったふうな顔」をしていくのを見ていると、寂しい気もするわけです。昔は、女同士の牽制を誌面からダイレクトに感じられ、「なんかもう、やーねー!」なんて言いながら楽しめていたのに……。
しかし、そんな昔の名残がまだ残っているページがありました! それは、広告ページです。今月は、クリスマス、ボーナスシーズンを目前にし、他女性誌同様に、「VERY」でもジュエリーの広告ページがぐんと増えています。
そんなジュエリーの広告ページを見ていると、「愛される」「幸せ」などの言葉がてんこ盛り、「リングの重ねづけを楽しめるのって、主婦の誇り。毎年こうやって、幸せを積み重ねていきたい」「華やかな私、知的な私……いつだって、あなた好みの私でいたい」という、ポエムのようなコピーが躍っているのです。
こういった「夫がいることで幸せである私」というのは、世間の人が思う「VERY」妻のイメージにぴったりなのでしょう。しかし、毎号読んでいる筆者からすると、やはり、「愛され」ている私をストレートに誇ることが、もはや「VERY」の気分ではないのは明らかなのです。
それゆえに、妙にポエミーで愛されている主婦像を押し出す広告ページが、浮いて感じられました。そんなことを思いながら次号の予告を見てみると、「どんなにオシャレでも母として、社会性のあるオシャレじゃないと」という文字が。今の「VERY」は、「愛され」よりも、社会性を身につける方が重要なテーマなのでしょう。