「セックスは事なかれ主義」の女への良書『わたしには鞭の跡がよく似合う』
■今回の官能小説
『私には鞭の跡がよく似合う』(大石圭、辰巳出版)
ひとりの男性から愛情と快感の両方を手に入れることは、とても難しい。どんなに愛している恋人がいても、じゃあセックスまで大満足しているのかと問われると、素直に頷ける女性は少ないだろう。そんな時、女性はどうしているのか? 体が満足できなくても「でも、彼のことが好き」と、納得しているのだろうか? それとも、快感を求めてくすぶるもう1人の自分を解放させてしまうのか?
今回ご紹介する『わたしには鞭の跡がよく似合う』(辰巳出版)の主人公・深雪は、一見どこにでもいる普通の地味なOL。ほっそりとした身体に黒髪のストレート。電機メーカーで営業事務として働き、付き合って半年経つ恋人がいる。平日はフルタイムで働き、週末は恋人とデート。パターン化した1週間をたんたんとこなす毎日――しかし、そんな平凡に見える深雪にはもう1つの顔があった。それは、マゾヒストとしての顔だ。
深雪の中に潜むマゾヒストの顔は、一流ホテルのトイレ内で姿を現す。トイレの個室で地味なスーツや下着を脱ぎ捨て、淫靡なショーツとボディラインにぴったり沿う黒いワンピースに着替える。派手な化粧を施したっぷりと香水を吹き付けると、もう“深雪”はいない。鏡に映るのは、マゾヒストの“聖子”だ。
SM嬢としてこの仕事を続けてから、もう2年になる。男たちはみな、彼女を人として扱わない。まるでおもちゃを弄ぶように激しいプレイを繰り広げる。酷い言葉を浴びせられながら鞭で叩かれ、白い肌に赤黒い鞭の跡が乗るたびに、彼女は充実感に満ちあふれてゆく。生まれ持った“マゾヒスト”としての自分を開放する喜びに包まれながら、彼女は喜悦の声を上げるのだ。
聖子としての顔を持つことは、もちろん恋人の浩介には秘密にしている。ガラス細工を扱うように、優しく丁寧に深雪を抱く浩介。電気スタンドの明かりを消すと、彼女の肌に浮き立つ鞭の跡と蝋の火傷の跡は闇に包まれ、消える。浩介の愛情たっぷりな愛撫を感じるたびに、相反する2つの感情が沸き立つ。うれしい。けれど、もっと乱暴にして、と。まるで、深雪の中に息づく聖子が叫び苦しんでいるかのように。
深雪のもう1つの名“聖子”は、彼女の母親から受け継いだ名だった。そう、深雪の母親もまた、マゾヒストだったのだ。深雪が5歳の頃に他界した母の死因を、深雪はひょんなことから知ることになる。母は、首を絞められて死んだ。しかも父以外の男とのSMプレイ中に。父の書斎で見つけたビデオテープ。そこに映っていたのは、両手と両足をベッドの端に縛り付けられ、白い小さな下着を身につけた母だった。