取調室から夫を奪還、「残金50円」の逃走劇――女の“愛ゆえ”の暴走事件
だが、釈放されたNは、4歳になる息子を連れて、Kに会いに守山署を足しげく訪れるようになる。Nは高校卒業後に18歳で結婚し、23歳の時に離婚している。この息子は前夫との間の子だった。こうして何度も通ううちに、Nは署内のことを熟知していく。
そのうちNは、Kの事件を担当していた警部補が、捜査協力を仰ぐためKの母親に自分の携帯電話の番号を教えていたことを知った。そこで彼女は、義母から警部補の携帯番号を教えてもらうと、その警部補に連絡して、Kの取り調べ担当の携帯番号を聞きだした。警官がそう簡単に携帯の番号を教えるとは考えにくいから、Mはよほどしつこく粘ったのだろう。
そしてNは取り調べ担当の警部補に頻繁に電話するようになる。「差し入れをしたい」という問い合わせをはじめ、NとKは当時まだ正式に婚姻届を提出していなかったため、「入籍したいと思う」などといった相談までするようになっていった。そうした電話を、半月ほどの間に10回ほど入れていた。
12月末には、Nは子どもを連れて面会に訪れた。その時にKが「子どもにクリスマスプレゼントを直接渡したい」と頼んだため、それくらいはかまわないだろうと、2人の警部補が立ち会って取調室で親子を面会させたという。逮捕拘束された容疑者との面会は接見室で行われるのが通常で、取調室での面会は異例だった。
■情熱と冷静さを併せ持った犯行
年が明けると、NはKに対して「身体は大丈夫ですか」「早く会いたい」といった手紙を何通も送るようになる。それもほぼ毎日、時には日に2~3通とまとめて送られてくることもあった。1月初旬から奪還事件までのわずか22日間で、Kに届けられた手紙は49通にも達した。その間、面会にも10回訪れている。これだけでもNの「思い」が伝わってくるようだ。
奪還当日、Nは催涙スプレーを用意すると、自分の車で守山署を訪れた。そして取調室に直行すると、いつも通りドアは半開きになっていた。Nは中に入るとスプレーを噴霧し、手際よく夫を連れ出すと、乗ってきた車で逃走。それから2キロほど離れた場所に停めてあったレンタカーに乗り換えた。自分の車では逃亡に都合が悪いと、あらかじめ借りておいたものだった。そして、親子3人で夫の郷里である岡山へと向かった。
しかし、途中で逃走資金が底をつき、知人に金を借りようと大阪市内に戻る。ところが、金を貸してもらえなかった上に、この情報が警察の知るところとなる。そして、取調室襲撃から5日後の1月27日午前11時半頃、大阪の心斎橋筋商店街にいた3人を住民の通報で駆けつけた警官が発見。NとKを逮捕し、一緒にいた息子を保護した。逮捕された際の所持金は、わずか50円だったという。