[連載]悪女の履歴書

「悪魔祓い殺人事件」、信者6人殺害の“拝み屋”江藤幸子の金と男

2013/09/08 19:00
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Photo by Kataryphoto from Flickr

世間を戦慄させた殺人事件の犯人は女だった――。日々を平凡に暮らす姿からは想像できない、ひとりの女による犯行。彼女たちを人を殺めるに駆り立てたものは何か。自己愛、嫉妬、劣等感――女の心を呪縛する闇をあぶり出す。

[第16回]
福島悪魔祓い殺人事件

 1995年は今から振り返っても異様な年だった。1月、阪神大震災、3月、オウム真理教による地下鉄サリン事件、当時の警察庁長官・国松孝次狙撃事件。そして一連のオウム事件――世の中全体が不安と不穏な空気で充満していたのが95年だ。そして、この年7月に発覚した「福島悪魔祓い殺人事件」もまた、この時代にふさしい異様なものだった。

 ことの発端は95年6月18日早朝、1人の老女が福島県須賀川市の「女祈祷師」を訪ねたことだった。老女には石田秀子(33)という娘がいた。しかし最近、娘とその家族と連絡が取れないことを不審に思っていた。娘一家は、孫のぜんそくを診てもらっている女祈祷師である江藤幸子(47)に心酔しているらしい。老女は胸騒ぎを覚え、女祈祷師の元に急いだ。

 悪い予感は当たっていた。老女が見たのは瀕死の状態の娘だった。手首から血と膿が流れ落ち、顔は腫れ上がり、自分1人では立ち上がれない悲愴な状況だ。「毒が出ているだけで大丈夫」。女祈祷師は涼しい顔で意味不明の説明を繰り返す。周囲を何人かの信者が取り囲み、ただならぬ雰囲気だ。老女はとっさに孫の名前を呼び、部屋に入った。奥の台所にしゃがみ込んでいる孫を見つける。だが、孫もまた痩せこけ一目見て普通の状態ではない。「おばあさん、連れて行ってはダメだよ」。引き留めようとする信者たちを、「すぐに連れて帰るから」と必死に説得し、孫だけは連れ出すことができた。同日午後、知らせを聞いた親族によって秀子も救出される。だが秀子は40度以上の高熱にうなされながら、病院に行くことを拒否するばかり。その後、両親の説得で入院はしたが、錯乱状態はしばらく続いたという。

 ようやく秀子が落ち着きを取り戻したのは、6月も終わりを迎えようとした頃だ。秀子が口にしたのは驚くべき事実だった。「女祈祷師の家に6人の死体がある」。これを受けて須賀川警察が江藤宅を家宅捜索したのは7月5日。そこには秀子の告白通り、一室に集められた男女6人の腐乱死体があった。


 取り調べから浮かんできたのは、当時世間を震撼させていたオウム事件を彷彿させるカルト事件だった。女祈祷師である江藤幸子は、信者たちに「除霊」「御用」と称した暴力を振るい、さらにほかの信者たちもそれに加担していたのだ。壮絶な暴行の末の大量殺害事件――一体信者たちの身の上に何が起こったのか。そして6人を死に追いやった幸子とはどんな女なのか。

■優秀なセールスレディから新興宗教の信者へ

 1947年8月、幸子は須賀川市で生まれている。父は町会議員を務め、母は専業主婦という普通の家庭の一人娘だった。しかし幸子が4歳の頃、父親は病死してしまう。母は工員となり、母娘2人の生活を支えていった。幸子はおとなしく目立たない子どもだったという。その後、地元高校に進学し、ここで後の夫となる隆夫と出会い、68年20歳の時に結婚する。翌年には長男が、その後も長女、次女、三女が生まれ、家も購入した。

 一見幸せをつかんだかに見えた幸子だが、職人の夫は次第に酒やギャンブルにのめり込むようになる。そのため、幸子は化粧品のセールスレディとなった。80年頃のことだ。幸子は必死に働き、月100万円という売り上げで表彰されたこともあった。この頃から幸子の様子は変貌を遂げていく。化粧は派手になり、セールストークも抜群の、積極的なやり手女となっていたのだ。

 一方、夫は相変わらず怠けてばかりで、さらに90年頃には仕事で腰を痛めてしまう。働かない夫と4人の子ども、そして住宅ローンが幸子の肩にのしかかった。しかし不思議と幸子の隆夫に対する愛情が消えることはなかった。セールスレディ以外にもバイトを複数こなし、家計を支えた。


 だがギャンブルの借金問題と夫の腰痛に加え、次女までもが眼病を患ってしまう。幸子は苦悩した。そんな時に知ったのが、岐阜に本部のある新興宗教「天子の郷」だった。夫の腰痛は先祖の供養が足らないといわれ、「先祖祓い」を受けると不思議と痛みは治まった。幸子夫妻は熱心に活動を始める。ここでも幸子は信者に借金を申し込むなど、経済状態は逼迫していたようだ。それから3年ほど本部で修行もしたが、しかし次女の病は一向に治らない。疑問を感じ、脱会したのが93年である。

 だが同時に、最愛の夫が「天子の郷」で知り合った女性信者と家出してしまったのだ。神戸にいる夫を探し出し、家に帰るよう説得したが夫は聞く耳を持たない。幸子はすがるように神戸でも新興宗教の信者となるが、1カ月ほどで脱会している。幸子は傷心のまま須賀川に帰った。残ったのは2,000万円の住宅ローンなど、莫大な借金だった。

 この頃から幸子の奇行が周囲の人たちに目撃されるようになる。意味不明の言葉を呟き、目の焦点は合っていない。94年7月頃には、「わしは神じゃ」「お前に悪霊が取り憑いている」などと近隣を訪ね歩く幸子の姿があった。

 この地域には古くから祈祷師を「拝み屋」と呼び、何か悩み事があると「拝み屋さんに見てもらう」風習があった。その数も多く、幸子の行為は比較的受け入れられやすい素地があったのだろう。気味悪がる人もいたが、次第に幸子は「拝み屋」として認知されていく。実際、幸子の祈祷や手かざしで肩こりや腰痛の症状が軽減するなど、周囲では「霊能力の強い立派な先生」として評判になっていく。

(後編につづく)

最終更新:2019/05/21 18:55
『藁にもすがる獣たち』
一縷の望みを食い物にする獣たち