サイゾーウーマン芸能テレビテレビツッコミ道場『Woman』の“芸術”ぶりへ違和感 芸能 [TVツッコミ道場] 『Woman』が終わってようやく言える、いくつもの違和感と野暮なツッコミ 2013/09/19 11:45 TVツッコミ道場満島ひかり二階堂ふみWoman 『Woman Blu-ray BOX』/バップ 今回ツッコませていただくのは、9月11日に最終回が放送された『Woman』(日本テレビ系)。 最終回の視聴率は16.4%(ビデオリサーチ調べ、関東地区)と、初めて15%を超え、有終の美を飾る形となった。でも……終わってみて、最後の最後で、今までなんとなくフタをし続けてきた数々の疑問・違和感が抑えられなくなってしまった。 夫の不審な死により、シングルマザーとなったヒロインが、厳しい現実に立ち向かいながら、2人の子どもを愛情たっぷりに必死で育てていくストーリー。放送開始当初~中盤までは、貧困の描写のリアリティがつらくて「離脱」してしまった視聴者が多数いた。さらにヒロインの病気、夫の不審死の「原因」が義妹にあったことなど、次々に重たい出来事がのしかかってきた。 それでも見続けたのは、何より「ほとんど100%に近い、達者な俳優陣」の力量によるところが大きいだろう。ストーリーだけ抜き出してみると、悲惨すぎる出来事の連続は、ともすれば陳腐になってしまい、昼ドラのようにも思える。それが、ヒロイン・満島ひかりと義妹役・二階堂ふみという「カルチャー指数高め」なうまい女優2人と、ヒロインの母を演じる田中裕子、再婚相手の小林薫という達者すぎる役者たちが揃うことで、迫力も説得力もありすぎて、野暮なツッコミや疑問を持ってはいけない雰囲気になっていた。 正直、役者たちの力量に飲み込まれてしまっていたのだと思う。でも、最終回を見終えて、やっぱり気になる違和感をこっそり口にしてみたいと思う。 1つは、会話の不思議な、独特な「間」。 「○○ですか」「いえ、△って。△だって。そうですか」 「私、こんな風に思うんです。○○って。ホントは△かもしれないけど、でも○○って。それが、それが私はつらいです」 同じフレーズを何度も繰り返すことで、リズムを生む手法は、まるで「詩」のようだ。だから、ドラマを見ているというよりも、朗読劇を見ているような、絵本の読み聞かせを聞いているような気分になる。 視聴者が勝手に自分なりに解釈し、妄想を膨らませ、それを語り合うことで共有していく『あまちゃん』(NHK)に象徴される現代ならではの「双方向性ドラマ」とは違い、完全に作り手の中で閉ざされている、ある種、芸術作品のようでもある。演技のうまい人ばかりを集めて美しく丁寧に作っていること、テーマが重たく、メッセージ性も強いことから、そうした野暮なツッコミをすると、さまざまな方面から怒られそうだけど……。 肝心なセリフをあえて「無音」にして不安をあおったり、静かな狂気を見せたりという技巧派の演出は、過剰にも見えて、どこか浮世離れしているように思えた。また、「植杉家」のシーンが常に夕暮れのようなオレンジ色がかった画面だったり、スローモーションがたびたび取り入れられていたりするのは、美しく、意味深に見えて、それでいて大した意味はなかった。 ポエミーな会話と、夕暮れのオレンジ色の画面と、偶然の「悲劇」の数々とは、ともすれば『世にも奇妙な物語』(フジテレビ系)第5話あたりで出てきそうな不思議な世界にも見える。結局、何だったのだろう? という疑問が残る一方で、あらためて思ったこと。何か賞をとる作品とかって、こういう感じだよね……。 (田幸和歌子) 最終更新:2013/09/19 12:03 Amazon 『Woman Blu-ray BOX 』 作ってる側の「うっとり感」がびんびん! 関連記事 『半沢直樹』で1人だけ昼ドラ臭を放つ、上戸彩の存在意味『Woman』、ディテール描写と緊張感で役者をも追い詰める坂元裕二脚本の妙最小限で「美味しさ」を引き出す『孤独のグルメ』と、蛇足だらけの『花のズボラ飯』『半沢直樹』、不快感も残酷さも残さない「半沢裁き」の絶妙さテレビ朝日が味を覚えた、「弱者」ぶりっこの計算番組に違和感 次の記事 「日経W」荒唐無稽な「産んで働く」特集 >