殺人事件、ポン引き、ポルノ映画監督……スヌープ・ライオンの数奇な人生
今年5月に発売された音楽大衆誌「ローリング・ストーン」のインタビューで、この頃、娼婦たちをツアーに同行させ、芸能人やスポーツ選手たちの相手をさせていた、正真正銘のピンプだったことを告白しているが、批判されることはなく「実にスヌープらしい」と世間から妙に感心されている。なお、スヌープは、毎年開催されるピンプの集会『Players Ball』にも出席しており、ピンプ界からも認められた筋金入りのピンプなのである。
ショート映画に出るなど演技に興味を持っていたスヌープは、この頃から役者としても活発に活動するようになり、『Soul Plane/ソウル・プレイン』(04)では主役を張り、『Lの世界』などの人気テレビドラマや、昼メロにもゲスト出演している。映画好きのスヌープは、05年に制作会社「スヌーパデリック・フィルムズ」まで立ち上げている。
[成功への道]
いろいろなことに手を出しているスヌープだが、どんなことをしていても音楽から離れることはなく、10年にフィーチャリングした、人気歌手ケイティ・ペリーの「カリフォルニア・ガールズ」のヒットも記憶に新しい。その後も、個性的なアルバムを出し続けたスヌープに、11年3月15日、転機が訪れる。脳卒中に倒れ、治療を続けていた従兄ネイトが41歳の若さで他界したのだ。スヌープは人生を振り返り、生きている意味を知ろうとジャマイカへ渡った。大好きな大麻を作っている農場を訪れ、ボブ・マーリーが若かりし頃に暮らしていたトレンチタウンを歩き、ジャマイカに深く根差しているレゲエ音楽、そしてラスタファリ文化に触れ、心酔したスヌープは、愛と平和を伝えるアーティストになりたいと、「スヌープ・ドッグ」の名を捨て、レゲエ歌手「スヌープ・ライオン」として生まれ変わる決心をした。
HipHop界をリードしてきたカリスマがレゲエに転向することは衝撃的なニュースだったが、スヌープはレゲエに染まるまでの過程をドキュメンタリーとして撮影しており、『スヌープ・ドッグ/ロード・トゥ・ライオン』(12)として公開。今年4月にリリースした、スヌープ・ライオンとしてのファーストアルバム『Reincarnated』は、当時12歳の娘コリー・Bをフィーチャリングした「No Guns Allowed」を収録するなど、新しいスヌープを感じられる作品に仕上がっている。
ギャングにどっぷり浸かり、殺人容疑をかけられ、「アメリカで最も危険な男」として恐れられていたカリスマ・ラッパーから、ポルノ監督、ピンプ、俳優、レゲエ・アーティストと、進化していったスヌープ。今では、「マリファナ好きな面白いオッサン」と称されることが多いが、本人はそれを褒め言葉として受け取っているようだ。
性格が柔らかくなったとはいえ、「ギャングも悪くないんだぜ。毎晩殺し合いしてるわけでもない。友達も家族もギャングという環境に生きてりゃ、しゃーないことなんだよ」と黒人貧困層に理解を示している。ラップには興味がなくなったと公言しているが、「ドレーとは、よぼよぼの爺さんになってもラップしてるな、確実に」という言葉を実現してくれるだろうと、多くのファンが期待を寄せている。