母娘の絶縁、宿命の物語をつづる週刊誌を越える、宇多田ヒカルのコメント文
下世話、醜聞、スキャンダル――。長く女性の“欲望”に応えてきた女性週刊誌を、伝説のスキャンダル雑誌「噂の真相」の元デスク神林広恵が、ぶった斬る!
第186回(8/23~27発売号より)
橋下徹大阪市長の政治資金パーティでの取材は「入場料(献金)を払わなければ非公開」発言が波紋を呼んでいる。「カメラがない方が自分の思いを率直に伝えられる」「僕がしゃべる内容の著作権は僕にある」だって。先の慰安婦発言が大問題になったことへの対抗策とも思えるが、これは自由な取材を制限する反民主主義、独裁的行為である。公人の発言の重み、義務、民主主義の原則、自由な言論など全てに対する認識が欠如しているとしか思えない。これまで情報公開を掲げてきた橋下だが、今度もまた一つ化けの皮が剥がれた。
1位「藤圭子さん 『ヒカルとはもう会わない』母娘“絶縁”宣言から始まった12年の流浪と絶望!」(「女性自身」9月10日号)
同「『私はヒカルの影…』藤圭子さん 娘への嫉妬と親子3代の宿命』(「週刊女性」9月10日号)
2位「岩崎宏美 2人の子奪還! 『死にたい』からの17年」(「女性セブン」9月5日号)
3位「石橋貴明 前妻との娘・穂のか窮地で思い知った『因果』」(「女性セブン」9月5日号)
藤圭子の飛び降り自殺は衝撃だった。以降、連日のようにこの話題がワイドショーや芸能マスコミを賑わせている。これだけ騒がれるのは藤圭子の存在と同時に、娘のヒカルの存在があるのは言うまでもないだろう。もちろん「自身」「週女」ともにヒカルとの“親子関係”を全面に出した誌面作りである。
まずは「自身」。藤の歯車が大きく動いたのは、1998年に娘であるヒカルが音楽界にその名を轟かしたことにあると論じる。このことで藤にも莫大な金が入るようになったが、一方、2001年頃からヒカルのプロデュースをめぐり、藤と夫の宇多田照實とモメ始めたという。「娘は私が育てた」とヒステリックになる母親と、次第に疎遠になる娘。ヒカルはついに母親に「もうこの場にはいないで」と絶縁宣言をしてしまったのだという。莫大な“手切れ金”を得た藤は、その金のせいで人間不信になる。人間不信は孤独を招く。体調不良も追い討ちをかけた。心身ともに追い詰められた藤は投身自殺を遂げた。それが「自身」の描いたストーリーである。
一方の「週女」も、内容はほぼ同じ。幼いわが子の才能を見抜き、熱心に売り込むなど娘を純粋に愛しバックアップしようとした藤。教育にも力を入れ、インターナショナルスクールに通わせた。しかし、ヒカルがブレイクすると状況は変わっていった。プロデューサーでもある父親は藤の暗いイメージがヒカルに影響することを恐れ、母親の存在をNG扱いにした。ヒカルに付きっきりの父と、追いやられる母。ヒカルの影となってしまった藤は、孤独とともに娘に嫉妬心を募らせた。だが「週女」の切り口にはもう1つ特徴がある。それが夫・照實に対するそこはかとない“悪意”である。藤をNG扱いした照實。「稼げる娘にゾッコンとなった父」との記載もある。また、ヒカルの前夫(映像ディレクター)がヒカルのコンサートに関して新たな提案をするも、ボツにしたなどのエピソードも。そして、だめ押しは照實が葬儀場から出てきた際の写真キャプションである。<元妻の死にもかかわらずその表情に変化は見られなかった>だって。かなりの悪意である。その理由は不明であるが(何かを匂わせたいのかもわからん)、気になる照實に関する記述の数々であった。
だが、こうした女性週刊誌の周辺ストーリー取材の努力も、26日に発表されたヒカルと照實のコメントの前には完敗だった。サイドストーリー、参照としては2誌ともに悪くはないが、それでも家族の肉声、文章には太刀打ちできない。そこには精神の病を患った藤に対する家族の愛情、苦悩、葛藤、最近の交流などが赤裸々に描かれている。精神的に不安定な人の家族や関係者の、どうにもならない苦悩と同時に、家族の本当の物語は外からはなかなか窺い知ることなどできないと、あらためて思い知らされる。どんな記事より、ヒカルと照實の“コメント文”の圧勝であった。