サイゾーウーマンカルチャー女性誌レビュー「VERY」ママ界のカーストを暴く カルチャー [女性誌速攻レビュー]「VERY」4月号 「スクール・ママ・カースト」のリアルを暴く、「VERY」ママの小物術 2013/03/31 17:00 女性誌速攻レビューVERY ■ママ版「スクール・カースト」の存在 今月の大特集は、「“ならしの4月”のオシャレ作法」です。この「ならし」って言葉は何? と思って誌面をよーく読んでも、「ならし」 が何であるかは書かれていないのです。多分、新生活に慣れていくために、少しずつ自分らしさを出していく、調整期間ということなんでしょう。「“ならしの4月”のマナー10」を見ていると、なんとなく「VERY」の提唱する「ならし」が見えてきます。 例えば、「“私らしさ”はさりげなく園小物で主張、がマナーです」「ママの制服、紺ワンピ。流行は“潜ませる”のがマナーです」という言葉からは、「ならし」の間は、私らしさを目立たない部分で出すにとどめて、大きく出してはいけないということが見えますし、「お仕事服には子育ての痕跡を残さない、がマナーです」「職場ではラブリーママバッグは卒業です」という言葉からは、職場でママの顔を主張すると、それはそれで嫌がられるから避けたい、ということがうかがえます。そして、「専業ママにも上手に溶け込むオシャレがマナーです」という言葉からは、働いているママであることを専業ママの前で出すと、それなりに軋轢ができるということに思えます。 この10のマナーをひとつひとつ噛み砕いていくと、ママたちは、「専業ママ」「兼業ママ」「職場の女性」など、とにかく、「家を出たら『七人の敵がいる』(集英社)」状態であることが見えてきます。キラキラしてる「VERY」のママたちは、常に「どう? 私たちキレイでしょ!」と誇っていると思っていたのですが、そんな風にドヤ顔ができるのは、未婚の女性に向けてだけ。ママコミュニティの中では、けっこう気遣い合わないといけないものなんですね。 しかし、そんな閉塞感の中でも、「小物で私らしさを出そう」というところに、プライドを感じてしまいます。 とにかく、女同士のコミュニティで、まだヒエラルキーが決定していない間は、悪目立ちしてはいけません。そのグレー期間は、とにかく、小物という小さなアイテムで自分の自我やプライドを発信しておくにとどめる。多分、「ならし」期間が終われば、おのずと自分の立ち位置が見えてきます。「自分はもしかしたら、このグループの中で発言力を持てるかもしれない」、「私はもしかしたら、より強い力を持った人に合わせていく方がいいかもしれない」といった具合に。立ち位置が見えたら、小物ではなく、洋服で思う存分自己主張し出す人、そうでない人が現れてくるのかもしれません。つまり、ママになっても「スクール・カースト」ならぬ「スクール・ママ・カースト」的な階層が、4月から徐々にできあがっていくということなのでしょう。 ■社会的に認められたい「VERY」ママたち 「VERY」のママたちは、いつだって輝いていたい――。その輝きに、ママの仕事というものがどうかかわってくるのかは、時代によって変化していると思います。例えば、数年前ならば、お家を教室にして、手芸や料理のサロンを開く「サロネーゼ」なんてものが憧れの対象だったこともありましたが、ここ数カ月、「VERY」ママの働き方として注目されているのが「ミセスCEO」。先月から「ママCEOの起業ビジョンボード」という連載が始まりました。 「ミセスCEO」とは、「起業をし、その会社のCEOとなったママ」を指します。以前は、自分の身近な範囲で、得意分野を教えることで喜びを感じていたママたちが、それでは満足できなくなっていることを表しているのでしょう。 「サロネーゼ」と「ミセスCEO」の違いはというと、やはり、その「意識の高さ」にあるでしょう。サロネーゼは、必ずしも「起業」をしないでも、自宅で数人に来てもらえれば成立していました。しかし、「ミセスCEO」はそれでは満足しません。主婦ではあるけれど、ちゃんと資金繰りや会社設立の事務処理もして、かつ、「誰かを幸せにする」という社会的な価値があることをしないと意味がないのです。 ではどうして、「VERY」ママがサロネーゼでは満足できなくなったか。それは年々、人々の承認欲求に求めるレベルが高くなり、その内容も変化してきたからなのではないでしょうか。例えばバブル時代は、消費の仕方、つまり「もの」で自分を表しました。それが行き届いたら、その後には、「自分」らしさで自分を表現していきました。ナンバーワンよりオンリーワンというのもその一種ですし、手芸や料理を教えるサロネーゼも、この欲求から登場したのでしょう。 そして、現在はというと、「社会」に認知されるということが加わわったわけです。これには、先の東日本大震災も関係していると思います。「もの」「自分」の延長として、「社会」を意識することの重要性を、主婦たちも密かに気づき始めたのかもしれません。 今月の「ミセスCEO」さんは、キッズスペース付きトータルリラクゼーションのサロンを立ち上げた読者の方。以前とは違い、手芸や料理を教える「自分」の満足のためではなく、普段忙しいママのために、子どもを預けてリラックスさせてあげたい、という「誰か」のためになっていることが、このサロンの目的になっています。 ただこの特集では、何をもって「トータルリラクゼーション」としているのかに、焦点が当てられていません。お店の写真を目を凝らして見るまで、そのサロンが何をしているのかすら、わかりませんでした。具体的には、アロマ、ネイルと、ブライダル・スパという3つを提供しているようですが、それってありきたりのエステなのでは……。しかし、ここで「トータルリラクゼーション」と銘打つところ、そして「キッズスペース」を併設するとことに、社会(世のママ)の役に立つという意識を持つ、「ミセスCEO」の心意気を感じたのでした。 (芹沢芳子) 前のページ12 最終更新:2013/04/12 15:03 Amazon 『VERY』 主婦自身が、主婦であることに負い目を感じてるのかも 関連記事 「VERY」川の字問題に見る、「妻であり母であり女である」ことへの限界「VERY」ママフェスで大活躍! 「未来のミセスCEO」の正体に拍子抜けコンサバ復活の「VERY」に潜む、「社会問題と向き合う私」という価値観の萌芽ボーダーを「モテ」とは別次元の価値観で着こなす、「VERY」の余裕「夫以上の理解者!」、「VERY」読者におけるママ友との距離感が危険 次の記事 高島家長男殺害事件の報道の意味 >