サイゾーウーマンカルチャー漫画レビューラブコメの名手が描く、男女のズレと人間賛歌! 「うどんの女」の妙味 カルチャー [連載]まんが難民に捧ぐ、「女子まんが学入門」第23回 ラブコメの名手が描く、男女のズレと人間賛歌! 「うどんの女」の妙味 2011/10/02 17:00 まんが難民に捧ぐ、「女子まんが学入門」カルチャー 『うどんの女』(祥伝社) ――幼いころに夢中になって読んでいた少女まんが。一時期離れてしまったがゆえに、今さら読むべき作品すら分からないまんが難民たちに、女子まんが研究家・小田真琴が”正しき女子まんが道”を指南します! <今回紹介する女子まんが> えすとえむ 『うどんの女(ひと)』全1巻 祥伝社 定価680円 恋においてあらゆる感情は紙一重であります。振られれば悲しいし、想い合えばうれしいし、嫉妬すれば苦しいし、そして傍から見ればその危うさは、時に滑稽ですらあります。フィクションの世界において「ラブコメディー」という一石二鳥のジャンルが成立したのも必然と言えましょう。本書『うどんの女』は、そんなラブコメディーの傑作です。 学食でうどんを作る35歳のバツイチ女性・村田チカと、節約のためその学食をヘビーユーズする21歳の美大生・木野。なんとなくお互いのことが気になりつつも、2人の思惑はズレ続けます。冒頭、毎日学食で素うどんを注文する木野を見て「私に会うために……!?」と村田は早合点しますが、一方、素うどんに大量のネギを載せてくれる村田に「この人俺のこと……!?」と、これまた早合点する木野。ズレながらも奇妙に一致するふたりの描写が笑いを生み、そしてまた恋の始まりを予感させます。 年齢差であったり、社会的立場の違いであったり、知り得ないお互いの感情であったり、行き違う欲望であったり……恋において生じるさまざまな”ズレ”を、名手・えすとえむ先生はふたりの会話やそれぞれのモノローグから、鮮やかに浮き立たせて行きます。わたしたちは主観においてそのズレに「切なさ」を覚え、また客観において「笑い」を見出します。これぞラブコメディーの醍醐味! ふたりが一致するポイントはただひとつ、出会いのきっかけとなった「うどん」のみでした。妄想では饒舌なふたりも、現実の会話ではうどんの話題に終始します。村田は木野に尋ねます。「うどん好きでしょ?」。木野は答えます。「…僕は カレーが好きです」。まさかのカレー! 「(じゃあ学食でもカレー食べればいいんじゃないの…?)」と村田は思うのですが、口には出しません。木野もまた自問自答します。 「大体なんでずっとうどん食べてんだっけ?」「初めは節約のつもりだったけどもうそんなに切り詰めなくてもいいのにな」「まあ 普通にうまいしな うどん そうだよ うどんがうまいんだよ」「何となくあの人が気になるってのはあるかもしれないけど うどんだ うどん」「それにしても…」「…うまいなカレーうどん」 そこに存在したはずのズレは生来の呑気さでもってうやむやなままに捨て置かれ、21歳の木野は「カレーうどん」というアクロバティックな着地点を見出すのでした。終始ズレ続けたふたりの気持ちも、最後はタイトルに相応しくうどんへと集約されて行きます。さまざまなことが曖昧なままではありますが、ふたりの間にもきっと「カレーうどん」のような着地点があるはず。「…でも うれしーなこれは」というクライマックスの村田のセリフは感動的です。この「…でも」に込められた彼女の想い――滑稽でも、間抜けでも、曖昧でも――その想いが貶められることは決してありません。この切なさと笑いとの奇跡的なマリアージュこそが、人間賛歌たるラブコメディーの本質でありましょう。甘いだけではなく、かといって辛いだけでもない、人生の妙味をご堪能ください。 『うどんの女 (Feelコミックス)』 やけにスタイリッシュなうどんだねぇ 【この記事を読んだ人はこんな記事も読んでいます】 ・“幸せウツ”に怯える女子に、新たな王子様像を示した『娚の一生』 ・ゲイカップルを通し、欲望の折り合いを描いた『きのう何食べた?』 ・3.11以降、まんがに課せられた意味を「マンガ大賞」から読み解く 最終更新:2014/04/01 11:35 次の記事 君島十和子の美への情熱を尊敬しつつ、究極の”ブスめし”に溺れる快楽 >