サイゾーウーマンカルチャーインタビュー小林カツ代の最大の功績 カルチャー 『小林カツ代と栗原はるみ』著者インタビュー(前編) 「母から受け継ぐもの」という幻想と、クックパッドの台頭。料理と女性の“距離”はどう変わったのか 2015/07/29 13:00 インタビュー 『小林カツ代と栗原はるみ 料理研究家とその時代』(新潮新書) 出版不況と言われながらも、どの書店でも一角に専用コーナーが設けられ、ズラリと並ぶレシピ本。門外漢から見ればどれも似たようなレシピに思えるが、材料や調理法を眺めると、同じ料理でもまるで違う。例えば、出汁はどのように取るか、市販の代替品を使うのか。料理に対するスタンスは、レシピを提案する料理研究家の生き方、ひいては彼/彼女たちを支持する読者の生き方にも通じる。 女性が働く時代に支持された時短料理の革命家・小林カツ代や、外食が日常になった時代に家庭料理を進化させた栗原はるみなど、料理研究家の人生と料理の指針をたどった『小林カツ代と栗原はるみ 料理研究家とその時代』(新潮新書)。それは同時に、女性が料理とどう向き合ってきたのかを知る史料でもある。専業主婦が自身の存在価値を証明するために料理に力を注いだ時代、子育てと仕事の両立のために時短レシピを重宝する時代を経て、今、料理を囲む状況はどう変わったのか。前編では料理と女性の距離、後編では趣味としての料理について、著者の阿古真理さんに聞いた。 ――まず、どうして料理だけがいまだ女性の仕事として残り、さらにいえば女性性や母性を測る道具になってきたのでしょうか? 阿古真理さん(以下、阿古) 性別役割分業は人類始まって以来続いてきた要素があり、日常の料理は女性が主な担当で、男性はプレゼンテーションの料理――動物を絞めて捌く作業や村社会における祭りや祝いの料理を担っていたんです。それがどんどん外注されていき、男の仕事が家庭から外部化されていった。料理自体も徐々に外部化されつつもあるけど、それに男性も女性も反対するんです。 というのも、料理には2つの側面がある。1つは、程度は別として、料理して食べるという人間の基本的な欲望に基づく行為。もう1つは、毎日品を替える、品数をそろえ、栄養のバランスを整える、食材を調達して管理するっていうトータルな家事としての料理。その2つが一緒くたになっているから、この50年あまり女性たちが苦労してきた部分はあると思います。 ――やるやらないは別として、家庭料理は手の込んだものを作らなければならない、という強迫観念に似たような思いを多くの女性が抱いています。 阿古 私の経験でいうと、夫と2人で暮らすようになって役割を分担していたものの、買い物や食材の管理など自分の負担が多いと不満を感じる時期がありました。でも、仕事で食文化について書き始めてからいろんなことが見え、経験も加わって料理の段取りがうまくなったんです。そうすると義務ではなく生活の楽しみ、趣味になった。もちろん、いまだに義務になるときもありますけど。 そういった側面がある一方で、女性が料理全般を任されていること自体は考えなくてはいけない問題です。この本のために調べてみると、料理研究家の中には、お母さんやおばあちゃんが下手だったから、お父さんやおじいちゃんが料理を作っていたという人もいる。得意な人がやればいいんですよ。どうしても夫のセンスが残念なら自分で作って食べた方がいいでしょうが、実家に頼むとか、お気に入りのお惣菜やデリバリーを頼むとか。そんなにしんどいならやらなくていい、ほかに方法はいくらでもあると自分を許すことも必要です。 ――それを提唱したのが、小林カツ代さんです。「(料理は)必ずしも母親が作らなくてはいけない、ということはありません」「100おいしいことを目指さなくてもいいのよ」「時々はおそうざい売り場を利用してもいいではありませんか」と、誰も言ってこなかったことをおっしゃった。 阿古 カツ代さんは亡くなられてまだ1年くらいですけど、もう再発見され始めているし、いま再発見が必要です。カツ代さんがすごいのは、「楽をしたっていいじゃない」というときに、「そうざいにすればいい」じゃなくて、「こうすれば手作りでも簡単においしいものができるよ」と具体的に見せてくれたところです。料理研究家のレシピは、「大さじ○杯」と書いてあるけど、そのレシピがやがて読者の身についたときには、書いてあった量じゃなくなってるかもしれない。でも、家族みんなが共有している味ができることは、とても大事なんです。 ――味覚もそうですし、例えば自分で出汁をとるのかといった工程や食への考え方もそろってきます。 阿古 それが、子どもが将来一人で台所に立ったときの基準になるんですよ。親のやっていたことを踏襲するか反発するかは自由ですけど、自分のベースがわかる。ある程度のことをやれば、子どもはその味を覚えて育つ。だから毎日頑張らなくてもいいんですよ。みんな自分に厳しすぎ、完璧を求めすぎ。高度成長期の主婦のための雑誌を見てみると、「新婚さんはなかなかできないわね~」というところから始まってます。 12次のページ 関連記事 Mサイズ信仰、リバティ族......裁縫したいオンナたちの虚栄とプライド光浦靖子×ジェーン・スーが語る“相談”の極意「笑ってあげることが一番の解決策」男ウケ、女ウケ、実家ウケ……久世番子×曽根愛の「ファッションは誰のため?」対談楳図かずお、映画『マザー』で描く“絶対的な母親”の存在と“女性”に込める意味実母の介護を撮り続ける娘・関口監督――認知症の心を描く『毎日がアルツハイマー2』の福音