美智子さまの都市伝説「三島由紀夫とお見合い」、出どころは三島の母? 公言していた“結婚問題”
「皇族はスーパースター」と語る歴史エッセイストの堀江宏樹さんに、歴史に眠る破天荒な「皇族」エピソードを教えてもらいます!
目次
・上皇后・美智子さまの都市伝説とは? 三島由紀夫の母が出どころ?
・美智子さまへの思いをこじらせた作品が「春の雪」?
・聖心女子大が美智子さまを三島由紀夫に“おすすめ”
・美智子さまのご実家は「お見合い」完全否定
上皇后・美智子さまの都市伝説、三島由紀夫の母が出どころ?
――令和6年(2024年)10月20日、上皇后・美智子さまは90歳のお誕生日をお迎えになられました。きたる12月23日は上皇さまのお誕生日でもあります。
堀江宏樹氏(以下、堀江) 上皇さまと上皇后さまはほぼ同い年でいらっしゃいますからね。長年、お二人が歩んでこられた道のりは、本当に「生きる伝説」だと申し上げても過言ではありません。そして「生きる伝説」でいらっしゃるお二人をめぐる実に多くの「都市伝説」が存在しています。
そして、今日でもしばしば語られ、密かに信じられているのが、上皇さま――当時の皇太子さまとご成婚になる前、「美智子さまが作家の三島由紀夫と非公式のお見合いをした」といううわさなのです。
――三島といえば、今でもネットで話題になりますよね。この前、Xを見ていたら、上野・東京国立博物館でハローキティ展が開催されるので、博物館のバルコニーに大きなキティちゃんが設置されている写真に、自決直前の三島が叫んだ言葉をもじった「猫一匹が命をかけて諸君に訴えているんだぞ!」というセリフをあてた投稿や、それを描き起こしたイラストが人気を呼んでいました……というのはともかく、三島由紀夫と美智子さまのお見合いって本当にあったことなのでしょうか?
堀江 うーん、それが普通の都市伝説ですと、いつ、誰が、それを垂れ流したかはよくわからないものだと思うのです。しかし、三島由紀夫と美智子さまのお見合い伝説に限っては、なんと情報の出どころは三島由紀夫本人だし、三島が自決した後も、彼の母の平岡倭文重(しずえ)が、息子と美智子さまのお見合いについて公言しつづけていたのです。
――親子二代で都市伝説……。ちなみに「三島由紀夫」はペンネームで、本名は平岡公威なんですよね。
堀江 はい。母親は「きみたけ」ではなく、「こうい」とか「こーちゃん」と呼んでいたようですが、「こーちゃん」の本命は美智子さまだった、というんですね。
三島が市ヶ谷の自衛隊駐屯地に突入し、「聞けい、聞けい!」と叫んだものの、自衛隊員のヤジのほうがデカくて演説を断念、ハラキリ自害してしまったのが昭和45年(1970)11月25日です。
事件から「しばらくたった日」、三島家(平岡家)のご近所さんで、親しく付き合っていた女優・演出家の長岡輝子が、三島の母・倭文重を訪ね、三島さんはあんな最期だったけれど、「自分のなさりたいことはぜんぶ成し遂げて、それこそ藤原道長の歌じゃないけど、『望月』の本望がかなった方じゃありません?」と慰めたとき、倭文重は「あの子(=三島由紀夫)には、ふたつだけかなわなかったことがあります。ひとつはノーベル賞をもらえなかったことです。それと、もうひとつは結婚問題です」として、不成立の縁談があったといったらしいのです。
――それが美智子さまとのお見合いだと?
堀江 はい。「もし、美智子さんと出逢っていなければ、『豊饒の海』は書かなかったでしょうし、自決することもなかったでしょう」とも倭文重は断言していますね(高橋英郎『三島あるいは優雅なる復讐』)。
美智子さまへの思いをこじらせた作品が「春の雪」?
――美智子さまへの「失恋」が母親公認情報なのは驚きましたが、美智子さまに出会ったから自決したのは論理がまったくわからないんですけど……。
堀江 本当にそうですよね。『豊饒の海』とは、三島の遺作で、四篇からなる長編小説です。本当に自衛隊突入の直前に完成したこともあり、最後になればなるほど、筆致が珍しく荒れたり、乱れている印象があります。
それゆえ、第一篇『春の雪』が一番完成度も人気も高いといえる気はします。お話は、とある男性皇族との結婚が内定している華族令嬢・綾倉聡子と、彼女の幼なじみにあたる主人公・松枝清顕が不義密通の関係に陥って云々……という罪深いものです。
少し前に、妻夫木聡さんの主演で映画化もされたので、記憶している方もおられるかもしれませんが、実はあれは三島が縁がなかった美智子さまへの思いをこじらせた末に生まれた物語なのだ……というのが、三島家による公式情報のようです。
――三島由紀夫って自分が組織していた私兵集団「楯の会」にもボーイフレンドがいたという話も聞いたことがあるし、どっちかというと女性より男性に惹かれる人じゃないかと思い込んでいました……。
堀江 少年時代の三島は虚弱でガリガリだったのですが、そのコンプレックスを成人後にボディビルや剣道などのスポーツに取り組むことで晴らそうとしたのは有名ですよね。そういう「男性性」への憧れが、同性への接近にもつながったのでしょうし、実際に『春の雪』でも絶世の美男子として描かれる主人公・松枝清顕と、彼の親友・本田繁邦の関係にはボーイズラブっぽい部分があります。
ただ、三島が「男性性」に執着する人であればこそ、それを際立たせる存在としての異性――つまり女性との恋愛や結婚にこだわっても、不思議はないとも思われるのですね。
聖心女子大が美智子さまを三島由紀夫に“おすすめ”
――三島は美智子さまとはどんな出会い方をしたと言っているんですか?
堀江 昭和のころは、しかるべき大学にお見合い相手の紹介を依頼することがありました。実は三島由紀夫には聖心女子大の卒業生の女性に強いこだわりがあり、「条件にあう女性がいたら紹介してほしい」と大学に依頼していた上、母・倭文重といっしょに「なぜか」美智子さまの代の卒業式を見学したこともあったのですね(村松剛『三島由紀夫の世界』)。
昭和33年(1958年)2月、聖心女子大から三島家(平岡家)に当時33歳だった三島のお見合い相手として、大学を卒業したばかりの美智子さまをおすすめするという「釣書(見合い用の書類)」が届きました。その「英会話に堪能、テニス、ピアノを得意とするほか、文章を書くことも好きである」という美智子さまの説明だけで、三島はビビビと来てしまったのです。
三島は歌舞伎が好きで、この時の公演パンフレットに執筆していた経緯もありました。ですから三島は美智子さまを2月の歌舞伎座に誘ったというのです。すると当日、淡い水色に花柄を添えた和服姿の美智子さまがおいでになって、三島と並んで歌舞伎座昼の部をご覧になったそうです(高橋英郎『三島あるいは優雅なる復讐』)。
――昭和中期の大卒女性が限定されているとはいえ、出身大学がお見合いセンターみたいなことまでしていたのは驚きです。その後、美智子さまと三島はどうなったのですか?
堀江 はっきりいうと、三島がフラれました。三島は美智子さまと別れ難かったようで、当時、五反田にあった美智子さまの暮らす正田家のお屋敷の門前まで、銀座の歌舞伎座からタクシーに同乗してお見送りしたのですが、二回目の約束を取り付けることはできなかった、と。
美智子さまのご実家は「お見合い」完全否定
――あらら。
堀江 しかし、ここからがもっと奇怪なのですが、美智子さまのご実家である正田家は「美智子さんが三島由紀夫さんといかなる形にせよ『お見合い』をした事実はない」と、完全否定しているんですね。
この当時、すでに美智子さまは皇太子殿下(現在の上皇さま)と出会っておられるし、殿下は美智子さまを将来のお妃としてお考えになられ始めていた頃だから、美智子さまもほかの男性とはどんな形にせよ、お見合いなんてしないという理屈です(以上、工藤美代子『皇后の真実』幻冬舎)。
しかし、美智子さまにかかわるすべてが、人の注目を引きたくてしかたない三島由紀夫の嘘八百、もしくは妄想を信じ込んだ末の戯れ言だったというわけでもないようなのです。
――次回につづきます。