【連載】堀江宏樹に聞く! 日本の“アウト”皇室史!!

秋篠宮家にとっての「強み」とは? 悠仁さまが継いだ、天皇家の伝統的「学問」

2024/09/21 17:00
堀江宏樹(作家・歴史エッセイスト)
赤ちゃん時代の秋篠宮家長男・悠仁様を抱っこする紀子様の画像
秋篠宮家長男・悠仁様を抱っこする紀子様(C)Getty Images

「皇族はスーパースター」と語る歴史エッセイストの堀江宏樹さんに、歴史に眠る破天荒な「皇族」エピソードを教えてもらいます! 

目次

悠仁さまが「筆頭執筆者」になった背景
「生物学」は天皇家の伝統であり、秋篠宮家にとっては「強み」
「思想の偏り」の危険性とは?

悠仁さまが「筆頭執筆者」になった背景

――東大農学部への推薦入学を目指しているとうわさされる秋篠宮家の悠仁親王。2023年11月には、悠仁親王を含む3人の執筆者による論文「赤坂御用地のトンボ相―多様な環境と人の手による維持管理―」が、国立科学博物館が発行する研究報告誌『国立科学博物館研究報告A類(動物学)』に掲載されました。今年の12月には、東大による推薦試験も実施されるそうですが……。

堀江宏樹氏(以下、堀江) もともと悠仁親王がトンボという昆虫に強い関心を示しておられるという話は私でも知っていました。そして今回、論文の実物を拝見しました。たしかに論文の「筆頭執筆者」として悠仁親王のお名前が見られますが、悠仁親王は決してこれを「自分が書いた」というつもりではいらっしゃらないのでしょう。

――東大農学部の推薦入試は書類審査と面接審査の2回で合否判定されるようですが、この論文も、親王の高校時代の研究成果のひとつとして提出されるのだと思われます。しかし……高校生の研究発表にしては、立派な内容すぎるという印象です。しかもその「筆頭執筆者」とは、いったいどんな経緯で決まったのでしょうか?


堀江 複数の論文執筆者がいる場合、誰を筆頭にするのかに明確なルールがあるわけではありません。ざっくりいえば「研究に多大な貢献をした人」がなるケースが多いです。今回の論文は、「東京都心には、都市部の中で孤立した状態でいくつかの大規模な緑地が点在」すると語る「はじめに」でスタートし、そこでいう「緑地」のひとつが、悠仁親王のお住まいである赤坂御所の「お庭」なのですね。

 それが東京の都市開発の影響をうけず、手つかずのままだといわれる「緑地」ゆえに、自然科学者からの注目は高いのですけれど、研究者だからといって自由に立ち入って調査はできません。悠仁親王が赤坂御所のトンボに関心をお示しになられたからこそ、はじめてこの研究もできたのだよ……という「場所の提供者」としての貢献が、今回の論文ではもっとも重視された。だから、悠仁親王が論文の「筆頭執筆者」ということでしょうね。

――なるほど。となると今後もいろいろな論文で筆頭執筆者になれそうです。執筆面でいえば、悠仁親王のこれまでの研究はベースになっているかもしれませんが、基本的に親王はプロの研究者のアシスタントとして、今回の論文の作成を経験なさったのだと考えるほうが正しいでしょうか?。

堀江 はい。仮にこの論文が東大農学部の推薦入試で提出されても、教授たちは、そう思って判断するでしょう。

――「ふつう」の高校生なら、論文執筆をプロの研究者に手伝ってもらうことなど不可能だという批判もあるようですね。


堀江 たしかに「自宅」の「お庭」が、東京でも有数の手つかずの自然で満たされている学生さんというのは「恵まれすぎ」といえるかもしれませんが、いまさらそこに噛みついても仕方ないのでは……というのが私の見解です。

 悠仁親王の父宮・秋篠宮さまも、学習院初等科時代からご自分の興味関心の赴くまま、生物学だけにとどまらぬさまざまなジャンルの研究をなさって、ご自分の教養を深めておられます。その御子息である悠仁親王も、お父上や、そのご友人からの影響を受けることは自然な結果でしょう。それは少年時代の秋篠宮さまも経験なさったことのはずです。

 秋篠宮さまの父宮で、ハゼなど魚類研究で有名な上皇さまも、お若い頃から魚類をはじめ、様々な生物にご関心が深くいらっしゃいました。また、上皇さまの父宮である昭和天皇も自然科学の研究者であられたので、父宮に手助けされながら、ご自分の研究を進めておられた記録がありますね。

――つまり、悠仁親王のトンボの研究は、天皇家の歴史の一部でもある、と。

堀江 その通りです。悠仁親王が天皇家の血統にあることを示す、何よりの証拠ともいえるでしょう。逆にいうと、現・天皇家には愛子内親王しかおられず、「女帝」が認められていない日本では、秋篠宮家とそのご子孫が天皇位を継いでいくことが決まっていますよね。

 秋篠宮さまご自身も、ナマズや鶏の研究で有名でいらっしゃるけれど、お子さまの悠仁親王にもトンボへのご関心が現段階ではっきりと見られるため、秋篠宮さまとしては父親として悠仁親王を大々的に応援しておかねば……という「政治」の部分もあったはず、とはチラッと思いましたが。

「生物学」は天皇家の伝統であり、秋篠宮家にとっては「強み」

堀江 実は明治天皇や大正天皇も、動物に対する鋭い観察眼で知られた方でした。専門的に生物学を学ばれたという形跡はないのですが、明治天皇は乗馬がお好きでしたから、馬についてお詳しく、一家言がおありでした。

 また、大正天皇はお若い頃は狩猟がお好きでした。あまりに獲物が少なかった日、ガイドの猟師が自宅で飼っていた兎をこっそり放してみたところ、野生の兎とは動き方が違うと一瞬で見抜き、「こんなことはしないでよい」とおっしゃったというエピソードもあります。

 昭和天皇は、それより一歩進んで、学問としての生物学に強い興味をお示しになられました。そういう天皇家の「伝統」を、悠仁親王がはっきりと継いでおられることが明確なのは、秋篠宮家にとっては「強み」でしょうね。

――自然科学の研究者と悠仁親王の間をお繋ぎになられたのは秋篠宮さまということでしょうか。

堀江 そうかもしれません。まぁ、天皇家と学問は古来、とても関係が深いのですけれど、その関係について深く調べてみると、すべては「政治的」といえるのですね。より天皇らしくあるため、そう見えるために天皇は学問をするといっても過言ではないと思います。もちろん戦後の天皇家は「日本国の象徴」であり、現実の政治に携わることはないのですけれど、よりよき「象徴」としてあるために、学問が必要とされている気がするのです。

「思想の偏り」の危険性とは?

――それは単純に勉強をがんばれば、教養が身について、人間としても成長するというような話ではなく?

堀江 はい。もちろんそういう側面も期待されますが、たとえば、若き日には歴史と生物学の両方に関心をお示しになられていた昭和天皇が、生物学の研究を主として行うようになったのは、皇太子時代に「最後の元老」こと西園寺公望たち側近のアドバイスを受けたからだといわれています。

 天皇が日本の皇室が2つに分裂していた南北朝時代――14世紀半ばから14世紀末までの約50年間の歴史について、あるいは20世紀初頭までに欧米社会で頻発した革命のあれこれについてなどに詳しくなりすぎることは好ましくない……。

 つまり「思想の偏り」が生まれることを危惧されて、そういう危険性が少ないと考えられた生物学が周囲から勧められたという説があるのです。昭和天皇ご自身は、1976年(昭和51年)11月の記者会見で「歴史を学ぶ途中で生物学に興味を持つようになりました」とおっしゃっています。

――今上陛下(現在の天皇陛下)は、水運というテーマを歴史学を通じ、ご研究ですよね。ご留学先のオックスフォード大でもロンドン・テムズ川の水運の歴史を学ばれたそうです。

堀江 そもそも天皇が、どこかの大学に学者として所属し、その給金で生活するという意味での職業学者になる可能性はないのですけれど、ご意思さえあれば一生涯をかけ、専門的に何かの学問を続けられるようになったのは、近代以降の天皇では、実は昭和天皇の代からなんですね。社会が安定していたからともいえるでしょうか。

 同時に、今上陛下がこれまで明治以降の天皇の学問としてはタブーのように扱われてきた歴史学を専門的に学べたのも、水運という「社会性」あるいは「公共性」の強いテーマをご選択だったからかもしれません。

 というか、自然科学とか歴史学とかのジャンルを超え、最終的に研究成果に「社会性」とか「公共性」があるかどうかこそを、天皇家の方々は強く意識なさっているような気がしているのです。

――次回に続きます。

堀江宏樹(作家・歴史エッセイスト)

堀江宏樹(作家・歴史エッセイスト)

1977年、大阪府生まれ。作家・歴史エッセイスト。早稲田大学第一文学部フランス文学科卒業。日本・世界を問わず歴史のおもしろさを拾い上げる作風で幅広いファン層をもつ。著書に『偉人の年収』(イースト・プレス)、『眠れなくなるほど怖い世界史』(三笠書房)など。最新刊は『日本史 不適切にもほどがある話』(三笠書房)。

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最終更新:2024/09/21 18:34
生物学と天皇家でここまでひもとけるとは