母は「もう家に帰れない」とわかって気力を失いーー老人ホームに移った半年後の姿
“「ヨロヨロ」と生き、「ドタリ」と倒れ、誰かの世話になって生き続ける”
――『百まで生きる覚悟』春日キスヨ(光文社)
そんな「ヨロヨロ・ドタリ」期を迎えた老親と、家族はどう向き合っていくのか考えるシリーズ。
目次
・「できそこない」母から暴言を受けて生きてきた
・「お前に騙されてこんなところに入れられた」
・「もう家に帰れない」気力を失った母
「できそこない」母から暴言を受けて生きてきた
夫のDVで離婚しシングルマザーになった若宮由里子さん(仮名・57)。大学生になった長男がゲーム依存になって引きこもっていたが、居住支援法人の支援で少しずつ回復し、仕事にもチャレンジしている。
そんな息子を気遣いながら見守る姿を「ずっと良い子だった優秀な息子が――『大量のゴミが散乱する真っ暗な部屋』で見た、信じられない光景」で紹介した。
若宮さん自身も、母ミヨ子さんからの暴言や理不尽な扱いを受けながら生きてきた。そしてミヨ子さんもまた、夫である若宮さんの父親によるDV被害者だった。
ミヨ子さんは夫からの暴力によるストレスを若宮さんにぶつけるように、若宮さんのことを「できそこない」とののしっていた。それでもミヨ子さんが、手足が動きにくくなる難病「脊髄小脳変性症」を発症して介護が必要になってからは、母親の隣地に住んで介護をしていた。
若宮さんの話を聞いてから3年。若宮さんはどうしているだろう。
「お前に騙されてこんなところに入れられた」
奇しくも、若宮さんは母ミヨ子さんを看取ったところだった。
ミヨ子さんは、難病「脊髄小脳変性症」のため5年前にはすでに車いす生活になっていたが、頭はしっかりしていたし、生来の勝気な性格も変わらなかった。
「私はまだ大丈夫。また何でもできるようになる」と、体の動きが衰えているのにポータブルトイレを使うことも拒否した。そのため、一人でトイレに行こうとして車いすから落ちることもしばしばだった。
ある夜、ミヨ子さんから「車いすから落ちた」という電話がきた。若宮さんが隣のミヨ子さん宅に駆けつけると、足にケガをしていて出血もひどかった。
「体も冷たくなっていて、すぐに救急病院に連れて行きました。何針も縫わなくてはいけないほどのケガだったので、ケアマネジャーと相談して、抜糸するまではデイサービスを利用していた老健(介護老人保健施設)にお願いしたほうがいいだろうということになったんです」
当初は短期間のつもりだったが、ミヨ子さんは持病の進行のせいもあってか、見る間に立ち上がることができなくなった。コロナ禍で面会もままならない。そんな状況がもどかしかったのかもしれない。ミヨ子さんは怒りを抑えられなかった。
「私に騙されて、こんなところに入れられたと責められました。『家に帰る』と繰り返していましたが、立ち上がることもできないのに自宅に戻すわけにもいきませんでした」
結局、老健で1年以上過ごし、系列の特養(特別養護老人ホーム)に移ることになった。系列の施設なので、職員は老健と同じユニホームなのでなじみがある。ミヨ子さんが少しでも安心して暮らせるようにという若宮さんなりの心づかいだった。
「『家には戻れないから特養に移るよ』と弟が伝えたのですが、弟の言うことなら『わかった』と素直に聞くんです。私が行くと、鬼のような形相でにらまれましたが」
「もう家に帰れない」気力を失った母
若宮さんへの怒りを生きる原動力にしていたかのようなミヨ子さんだったが、特養に移ると急激に体調が悪くなった。
「もう家に帰れないとわかったのでしょう。何でも自分でやりたい人だったのが、一気に気力が失われたようで、すっかり元気がなくなりました。頭もボケてきて、寝込むことが増えてきました」
入所して半年ほどたつと、看取りをどうするかという話になった。胃ろうの打診は断り、自然にまかせることにした。
「小康状態もあったのですが、3カ月くらいでいよいよ重篤な状況になりました。ちょうどこのころ、私も仕事を辞めたところだったんです。障がい者施設に勤務していたのですが、ブラックな職場だったので職員が次々に辞め、それで私が夜勤を何度もやらないといけない状況になり、とうとう睡眠不足で交通事故を起こしてしまいました。さすがに、これ以上仕事を続けていたら危ないと思い、辞めることにしたのです。そんなタイミングで母が亡くなったので、母も今なら私に迷惑をかけないだろうと思ったのではないかと思います」
ずっとミヨ子さんからは暴言を浴びせられ、怒りをぶつけられていた若宮さんが、最期にそんな心境になったのにはワケがある。
ミヨ子さんが亡くなる前日のことだ。
――後編は11月9日公開