35歳誕生日に「負け犬」呼ばわり! 紀宮さま、15年にわたる「結婚報道」が反映したものとは?
歴史エッセイストの堀江宏樹さんに、7回にわたって上皇陛下の長女で天皇陛下の妹である黒田清子さんをめぐるお話をお聞きします。(第6回)
――前回まで、「結婚適齢期」である20代に達した紀宮さまのお相手候補を、週刊誌が勝手に乱立させていた狂騒の90年代を振り返りました。そんな中でも、紀宮さまは本当にゆっくりと、マイペースに、黒田慶樹さんとの関係を水面下で深めていかれたのでしょう。マスコミはお二人の交流にまったく気づいていなかったようで、報道は一切ありませんでした。
堀江宏樹氏(以下、堀江) 逆に報道されなかったから、うまくいったという部分が強いかもしれません。かつてマスコミは、予想される「結婚相手は旧華族、旧皇族の子息で、確実な収入のある男性」(主婦と生活社「週刊女性」1990年5月8・15日合併号)などと勝手にまとめてしまっています。
黒田さんに注目が集まらなかったのは、SPやら何やらの経費だけで年間1500万円ほどかかるとされた皇女の生活費を賄うほどの「高い収入と、高い身分というステイタスを兼ね備える人材ではない」と、マスコミから考えられていたせいでしょうか。たしかに、黒田さんご自身は旧華族の当主のご子息というわけではありません。黒田家のご親戚には、旧華族の出身者のお名前もあるようですが。
――それに比べると、「資金力」という部分で、大企業「西武グループ」の経営者一族の堤正利さん。そして、「学者」や「旧華族出身」という部分で、坊城俊成さんに熱視線が集中してしまったのでしょうね。そして、そのお二人も紀宮さまのお相手としては「欠けている部分がある!」とマスコミから批判されていたことも。考えるだけでもつらいですね。
堀江 しかし、紀宮さまが30代に入った2000年代から、その手のお相手候補の男性についての報道記事もだんだん少なくなってはいきます。結婚を勧めてくる世の親や親戚たちが静かになっていく時期と似ていて、苦笑してしまいました。
しかし、平成14年(02年)になると、マスコミが勝手に第一候補などと盛り上がっていた坊城さんが、教え子の女性とゴールインしたという記事が掲載されています(新潮社「週刊新潮」02年11月7日号)。
――また勝手に、こんなあてつけめいた記事を出すなんてマスコミにはあきれますね。
堀江 しかし、何をいわれようがマイペースに自分の生き方を貫く紀宮さまのお姿は、同時代の女性たちからの強い共感を呼ぶようになっていました。平成16年(04年)には「週刊朝日」(朝日新聞社、同年4月16日号)が「紀宮さま 『働く等身大の女性』に広がる共感」として、という記事を載せています。
――しかし、その翌月には同じ「週刊朝日」が「紀宮さまが35歳誕生日に語られた『負け犬論』」(同年5月7・14日合併号)と題した記事を掲載しました。「負け犬」とはひどいですね。
堀江 現在のネット記事も同じなのですが、記事はタイトルで読ませるものだという認識がマスコミにはありますからね。思ったような反響が「『働く等身大の女性』に広がる共感」という「まっとうすぎる」タイトルの記事からは引き出せなかったので、編集長判断で「負け犬」呼ばわりにしてみたのでしょう(苦笑)。
補足しておくと、この記事も、紀宮さまを「負け犬」と名指して批判しているのではありません。「30代以上の女性のライフスタイルの変化について、どう思われるか」と記者から問われた紀宮さまが、「女性の生き方が多様化しつつある」とお考えで、周囲にも「独身で仕事や学業を続けている」女性もいるとおっしゃっただけ。
それを当時のベストセラーだった『負け犬の遠吠え』(酒井順子、講談社)のタイトルに結びつけて「負け犬論」といっている。まぁ、表面的にそう見せかけつつ、底に悪意が隠されていなくもなさそうですが。
――しかし、平成16年(04年)末、ついに紀宮さまがマスコミにとっては「ダークホース」にほかならない黒田慶樹さんとのご婚約を発表なさると、週刊誌はこれまでの「予想」を外しまくっていたことは棚に上げて、祝福ムード一色になるのです。
堀江 こういう節操のない手のひらの返し方もマスコミのお家芸ですが、よく考えると、紀宮さまは、日本の皇室の歴史始まって以来、最初に、結婚問題で日本中を加熱させてしまった「プリンセス」ともいえるのです。
しかし、20代前半で適齢期を迎えられたといわれはじめた紀宮さまが、黒田慶樹さんと婚約するまでには、約15年間の時間がありました。その間に「女性は20代で結婚するものだ」というかつての常識がなくなりはしないものの、薄れていったのですね。
近年においては、男性皇族以上に、女性皇族の結婚事情もまた、その時々の日本社会を色濃く反映しているのは「興味深い」の一言です。
――次回はこれまでの総集編として、歴史の中での「紀宮さまのご結婚」について考えてみます。