「母が重たかった」と振り返る60代の娘――“親への罪ほろぼし”に選んだ切ない未来
“「ヨロヨロ」と生き、「ドタリ」と倒れ、誰かの世話になって生き続ける”
――『百まで生きる覚悟』春日キスヨ(光文社)
そんな「ヨロヨロ・ドタリ」期を迎えた老親と、家族はどう向き合っていくのか考えるシリーズ。
佐野幸代さん(仮名・60)は齢を重ねるごとに望郷の念が抑えきれないでいる。そんなとき、同郷の友人が還暦を機に故郷に戻ったことをSNSで知り、故郷に戻りたくても戻れない自分と比べ、羨ましさで胸が締め付けられるようだったという。
(前編はこちら)
かたくなな母が重たかった
それに――と佐野さんは伏し目がちに付け加えた。
「私は、晩年の母を関東に呼び寄せました。遠距離介護を続けるのが心身ともに限界で、自分が楽をしたいから母を呼んだんだと言われても否定できません。親戚も知り合いもいない関東に来ることを承知してくれたものの、ふるさとを離れたときに母の心は死んだも同然だったのでしょう。母はこちらに来てからは一度もふるさとに帰ろうとしませんでした。
体がそれほど弱っていなかったころから、私がいくら『一度くらい里帰りしたら?』と言っても、首を横に振るばかりでした。なぜそこまでかたくなになるのか理解できなかったし、そんな母が私には重たかったのですが、今思えば母なりの意地だったのかなと思うんです」
佐野さんは、母が重たかったと言いつつも、今はそんな母の気持ちが理解できる気がするという。
「こちらに呼び寄せて亡くなるまでの10数年、母はとうとう一度も里帰りしませんでした。でも、故郷に帰りたくなかったわけはないと思います。もう帰らないという決意で関東に出てきたのだから、里帰りをすることでその気持ちが揺らぐのが怖かったのかもしれません。それ以上に、先祖代々住んできた土地を離れたという、ご先祖様への申し訳なさや罪の意識があったのではないかと思うんです。
だから母にふるさとを捨てさせた私が、今さらおめおめとふるさとに戻るわけにはいかない。生きているうちにふるさとに戻れなかった母への罪ほろぼしかもしれないですね」
意地と母への義理……そんな気持ちだけで、佐野さんは望郷の想いを押し殺し、これからの数十年を過ごしていくつもりなのか。「罪ほろぼし」と佐野さんが言うように、親の介護に悔いを抱くあまり、自罰的になる娘は少なくないと感じる。
故郷を捨てた主人公が心の支えに
「40代のころは、高校時代の同級生の半分がこちらで暮らしていて、クラス会も頻繁に開いていました。それが一人、また一人とふるさとに戻っていき、今は数人が残るだけ。クラス会ももう長くやっていません。定年後、奥さんと別居してまで、単身でふるさとに戻った男子同級生も数人います。ふるさとで暮らせる彼らがうらやましくて、心がかきむしられるようです」
佐野さんのふるさとは、芸能人を多く輩出している土地でもある。夢を追って東京に出て、名を成した彼らが、歳を取ってふるさとに戻って暮らしているという報道もしばしば見聞きする。
「先日も芸能ニュースで、また一人の有名ミュージシャンがふるさとに戻っていることを知りました。もちろん私とはまったく縁のない有名人ですが、そんなニュースでさえまた心が乱れるんです。あと東京に残っているのは、あの大物コメディアンとミュージシャン。彼らがふるさとに戻ったらもっと心が折れるだろうと、今から不安にかられるほど。まるでオー・ヘンリーの『最後の一葉』のようですよね」
自虐的なたとえに苦笑しながらも、佐野さんの苦悩の深さが伝わってくる。
唐突だが、NHKの朝ドラ『らんまん』が好評のうちに最終回を迎えた。佐野さんも毎朝楽しみに見ていたというが、楽しみだった理由は一風変わったものだった。
「人生の後半に差し掛かって、家業だった老舗の酒蔵をたたまざるを得なくなり、ふるさとの土佐にいられなくなった主人公の姉夫婦が私を励ましてくれるように感じていました。ドラマとはいえ、土佐を離れて最期まで東京でがんばった主人公の万太郎や姉夫婦は私の心の支えになったんです」
少し前の、沖縄出身の主人公が料理人となる朝ドラ『ちむどんどん』や、宮城の離島出身の主人公が気象予報士になる『おかえりモネ』は、どちらも主人公がパートナーとともに帰郷するという結末で、これも架空の話とわかっていながら心がざわついて苦しかったと明かす。
この後、老いた佐野さんがもしも認知症になったら、今度こそ「家に帰ります」と言って、ふるさとを目指すだろう。そして、ふるさとにたどりつけないことを知って、そのたびに落胆するのだろうか。なんとも切ない未来が見えてくる気がした。