中学受験、小6秋の模試で「合格率20%以下」――「親が第1志望校を変更」の過去を引きずる28歳女性
「制服が気に入ったS中学に憧れていたんですが、6年秋になっても模試の判定結果は『合格率20%以下』。そのため、親から一方的に『受けさせない』と言われ、よく知りもしない安全校2校しか受験させてもらえなかったんです」
亜衣さんが受けたのは、いずれも伝統校。旧世代には聞こえがいいお嬢様学校ともいえる。実際、入学した学校には、特に悪い印象は持っていないという彼女だが、「今でも、S中に行けていたら、自分の人生は違っていると感じるんです。百歩譲って落ちたとしても、受験してダメだったならば、こんなに引きずっていなかったのでは? とも思います」。
亜衣さんは、中高ではジャズダンスをやりたいと思っていたものの、進学した学校には該当する部活がなく、親が勧めた茶道部に入部。しかし、部になじめず、ほぼ帰宅部として6年間を過ごした。
「成績だけは良かったので、学校からは国公立を目指してほしいと言われました。でも、親から『女の子なのに、万が一浪人になったら大変! MARCHに推薦で入れるなら、こんなに(聞こえが)いいことはない!』と説得され、たいして興味もなかった経済学部に進むことが決まりました」
就職活動でも、親の過干渉は続いた。親の条件は「聞こえがいい企業」「自宅から通える(=転勤がある総合職はダメ)」。結果的に、亜衣さんは名前の通りは良い金融機関に入ったが、「仕事は面白くはなかった」そうだ。そして、25歳を過ぎ、ようやく仕事にも慣れてきた頃から、今度は親から「結婚、結婚」とせっつかれるように。亜衣さんはそれが「うるさくて仕方がなかった」という。
「今年、28歳になったんですが、遅ればせながら、ようやく『自分の人生』について考えることができるようになって。今まで、親の言いなりで生きてきて、それが、普通だと思っていたんです。でも、心のどこかで『これらは私が決めたこと』ではないという気持ちを、ずっとくすぶらせていました。親の傍にいるのは安心安全ではあるんですが、『自分がやりたいことは何なのか?』ってことも考えられなくなっちゃうんですよ。それに気づいた時、愕然としました。私、自分が何をしたいかもわからないって……」
亜衣さんは、「せめて、自分が何をしたくて、何を望んでいるのかを知りたい。そのためには、親から離れないといけない」と思い、留学を決意。現在、知り合いも皆無だという異国で、毎日勉強に励んでいるのだそうだ。