『らんまん』が描かない、神木隆之介演じる主人公のクズ史実! 病死した長女と“現地妻”への理解できない言動とは?
離縁された猶から、寿衛のその後に目を向けてみましょう。
ついに牧野が猶と離婚したので、彼と正式に結婚できることになった寿衛なのですが、ここで彼女が牧野を捨て、次女を連れて実家に戻る決心をしなかったのは、理解しがたいと思う読者も多いでしょう。
いくら彼女が牧野に岡惚れしていたとしても、長女が病気になり、そのまま亡くなってしまったにもかかわらず、それを見殺しにしたといってもよい牧野と正式に結婚してしまうという選択は、現代のわれわれにはなかなか納得しづらいものがありますね。
明治時代に定められた民法では、結婚後の女性は、法律上の無能力者だとされたので、離婚の意思を夫に申し出ても、拒まれた場合、調定を受けることすら叶いません。しかし、寿衛は次女が生まれた時点でも、牧野の東京の現地妻にすぎず、牧野の正式な妻は土佐の猶という女性であり続けたので、「実家に帰らせていただきます」といえば、寿衛は牧野との関係を断ち切れたはずなのです。しかし、寿衛は牧野に執着してしまったのでした。
渋谷円山町で経営した店とは?
牧野はのちに自伝を残していますが、55歳の若さで早死するまで、彼に尽くし続けた、妻・寿衛の死因については沈黙しています。しかし、状況証拠から寿衛が子宮がんだったことはおそらく間違いなく、13人もの子ども(成人したのは7人だけ)を産んだ彼女が、子宮の病気で亡くなってしまったことについて、伏せておきたい気持ちもなんとなく想像できますが……。
牧野の妻として、寿衛の生活は最後まで苦労続きでした。しかし、50代になってから、現代風にいえば、「宴会場つきラブホテル」というような営業形態のお店を、渋谷の色街として知られた荒木山(現在の円山町)で経営し、玄人女性に仲間入りするとは、寿衛自身も想像さえしていなかったと思われます。
――次回、そんな寿衛のお話がつづきます。