昭和天皇も熱心な視聴者だった? 民放最長寿番組『皇室アルバム』の歴史的背景を考察
「皇族はスーパースター」と語る歴史エッセイストの堀江宏樹さんに、歴史に眠る破天荒な「皇族」エピソードを教えてもらいます!
――昭和34年(1959年)10月の放送開始から、今年で64年という民放最長寿番組の伝統を誇る『皇室アルバム』(現在の毎日放送)について、考察していこうと思います。実はこの番組、昭和天皇も熱烈なファンでいらしたとか?
堀江宏樹氏(以下、堀江) 放送開始した年の4月に上皇さまのご成婚という歴史的な慶事があり、戦後低迷していた皇室人気がV字回復したといわれています。放送は毎週月曜日、夜21時45分からの15分間で、毎週欠かさず放送され、その頃の視聴率は20%を超えていたそうです。昭和50年(1975年)の3月末までの放送時間は、21時台~22時台というプライムタイム帯に設定されました。視聴率は初期に公開されただけで、その後は秘密にされているようですが、プライムタイムで放送されていた頃は、それなりの数字をあげていたのでしょう。
――『皇室アルバム』といえば、今だと早朝にやっているイメージですよね。しかし、この頃からメイン視聴者は高齢者に想定されていたとか?
堀江 当時の日本人の家庭生活といえば、一家につきテレビ一台でしょう。番組にチャンネルを合わせるのが高齢者であったところで、寝る前の一家団らんの時間に、お茶の間で家族みんなで『皇室アルバム』を見てから、みんなで就寝していたという感じでしょうか。
番組の放送時間が朝に変わったのは、昭和52年(1977年)4月から。土曜日の朝9時半からの15分番組となりました。平成15年(2003年)3月まではこの時間帯に放送され、同年4月から今日までは、日曜日朝6時半というさらに早朝の時間帯に移動して放送され続けています(関東地区では土曜5時15分~)。
興味深いのは民放の番組であるにもかかわらず、視聴率に関係なくスポンサーがいる限り、作り続けねばならない番組という位置づけであることです。テレビ局の関係者に視聴率を聞いても「別の部署に聞いてくれ」とタライ回しにされたり、回答をはっきり拒否されるそうですよ(笑)。
――現在でも「菊のカーテン」で手厚く守られているのですね。そんな『皇室アルバム』のスポンサーというと?
堀江 時代を反映し、かなりの移り変わりがあります。ある調査によると「70年までは日本生命の一社提供、80年代~(20)03年までは高島屋の一社提供、その後、資生堂の一社提供となった。しかし、10年頃からは、TBSではドクターリセラの一社提供、制作局である毎日放送では皇潤とドクターリセラの2社提供、そして地方局ではローカルスポンサーをつける場合も」(『皇室アルバム』は寿命を伸ばせるか!? 今、必ず見るべき!?皇室番組レビュー/「月刊サイゾー」2012年01月号)とあります。平成22年(2010年)頃に、番組の存続危機があったのかもしれませんね。