虐待された姉と「いない子」にされた妹――違う傷を背負いながらも親の介護をする2人
“「ヨロヨロ」と生き、「ドタリ」と倒れ、誰かの世話になって生き続ける”
――『百まで生きる覚悟』春日キスヨ(光文社)
そんな「ヨロヨロ・ドタリ」期を迎えた老親と、家族はどう向き合っていくのか考えるシリーズ。
幼い頃、虐待されながらも生き延びた黒沢美紀さん(仮名・45)。葛藤を抱き、フラッシュバックに襲われながらも、父・昇二さん(仮名・75)と母・良江さん(仮名・70)の住む地元に戻り、両親と向き合おうとしている。
「いない子」のように扱われていた妹の傷
美紀さんの話を聞きながら、妹の理香さん(仮名・43)のことが気になった。昇二さんから評価されている理香さんはDVを受けなかったのか。
美紀さんは、「妹は、私とはまったく違う心の傷を持っています」と明かす。
「私は両親の注目を集め、虐待の限りを尽くされましたが、妹はまったく逆で、両親の視界に入っておらず、まるで“いない子”のように扱われていました。高校入学とともに、平日の夜間も土日もバイトに明け暮れ、文字通り“家にいない子”になりました。妹は、中学卒業を前に、母から『お前は高校には行かせちゃらん。中学を卒業したら働いて、姉ちゃんに貢げ』と言われたそうで、それが大きな心の傷になっているようです。そのときに、父から『高校くらい行かせちゃる』と言われたのがうれしかったようで、父のことを『いつも私の味方でいてくれる』と慕っています。だから父は妹のことを自慢の娘、私のことをバカな娘と評価しているんです」
同じように傷を持ちながら、姉妹の心はすれ違った。理香さんは、中学生になった頃から「姉ちゃんとしゃべっても面白くない」と美紀さんを無視するようになり、暴言も吐いた。
妹にとって姉は「両親の愛を奪い合う敵」
その関係は大人になっても変わることはなかったが、理香さんは美紀さんを頼りにしてくることもあるようだ。夫は「理香さんは美紀にひどいことを言うが、ひどい人ではないと思うよ」と言う。
「妹はキツい性格で、私には特に当たりが強いんです。父からの性的虐待を打ち明けたときも、『いつまでも昔のことをうるさい!』と怒鳴られました」
今でも、昇二さんから暴言を浴びせられて理香さんに愚痴を言うと、心ない言葉を投げつけられ、さらに傷つくことも多いという。
あるとき、理香さんが「うちら姉妹が仲良さそうに見えるのは、姉ちゃんが何も言わないからや。優しいのと気が弱いのとは違う。腹立ったときは怒らなあかん」と言ってきた。美紀さんは「私は、私ら姉妹が仲が良いなんて思ったことはない」と、何かがブツっと切れてしまい、理香さんの連絡先はすべて消去してしまった。
それでも、昇二さんが骨折したときは理香さんから連絡が来て、少し話をした。理香さんは実家から遠いところに住んでいるのでそう接点はないが、ひどい扱いを受けると距離を置きたくなる。
「それ以上に、妹は私に複雑な感情を持っているんだと思います。妹は両親から愛情を受けずに育って、父の『高校くらい行かせちゃる』という言葉だけが、親からかけられた愛情のある言葉だったのでしょう。その言葉だけを頼りに大きくなった妹が、『お父さんから性的虐待を受けた』という私の言葉で、父が決定的に悪者になる事実を突きつけられた。愛情を向けてくれた父の姿が壊れるのが怖くて、私に暴言を吐いてしまったのではないかと思います」
またこんなこともあった。
美紀さんが病院に連れて行ったことで、良江さんが元の人格を取り戻したとき、理香さんはそのことをかたくなに認めようとしなかった。「家が新しくなって、日が差すようになったからや。前の古い家は日が入ってこなかったから」と。美紀さんの力で良江さんが変わったことを受け止められなかったのだろうと思う。それでも良江さんが正気に戻ってからは、理香さんは休みのたびに車を飛ばして実家に帰ってくるという。
「両親に甘えたいのでしょう。そしてたぶん、妹は私にも甘えたいのだと思います。でも姉である私は、両親の愛を奪い合う敵のようにも映っているのでしょう。そんな気持ちが複雑に絡みあって、私に反発する。妹は、私が大学入学で家を出ていく朝、自分の部屋から出ず、見送りにも来ませんでしたが、布団の中で泣いていたのだそうです。妹の夫には、私のことを『優しいお姉ちゃんやったで』と言っていました。私の前では素直になれないけれど、本当は私のことを好きなのかもしれません」
美紀さんは理香さんのことを、たった一人の妹だからかわいいとは思う。でも仲が良いのかどうかは、正直よくわからない。
続きは3月12日公開