Netflixドラマ『ザ・クラウン』に非難轟轟のワケ! もっとも最悪のシーンは…
――『ザ・クラウン』を英王室のメンバーが見ているという噂も根強いですが、それってどうなのでしょうか?
堀江 見たくないけど、見てしまうという感じに近そう。でも、生前のエリザベス女王からは“お墨付き”も得ていたようですよ。『ザ・クラウン』の第2シーズンの撮影が行われていた2015年の終わり頃、モーガンはバッキンガム宮殿から茶色い小さな封筒に入った手紙をもらい、女王から「演劇界への貢献」を認められた彼は「大英帝国勲章のコマンダー(C.B.E.)に叙任され、その授与式にバッキンガム宮殿に出席するよう要請された」のだそうです。
チャールズ皇太子から勲章を与えられたとき、モーガンは皇太子と5分くらい談話したそうですが、「脚本を書くのは大変な作業でしょう?」と問われています。そして会話の中で、チャールズから「私は何を残すかより、何を省くかを大事に考えます(I tend to think it’s not what you leave in but what you leave out that’s most important)」と言われたそうです。
――それって、チャールズ皇太子ご本人からの「私のタンポン・ゲート事件は、書いてくれるなよ」というメッセージだったのでしょうか(笑)。
堀江 モーガン本人も、離婚寸前のいがみあいをするエリザベスとフィリップの家庭生活が描かれていた当時の『ザ・クラウン』の内容がスキャンダラスすぎるという叱責だったのかも……と思わなくもなかったそうですが、王族の発する言葉は、ドラマにも描かれているように、どうとでも受け取れるような、曖昧なメッセージであることが多く、その実例として解釈されたようですね。モーガンは、皇太子の一連の発言は「何かを書く」という行為一般にまつわる世間話だったのでは……と考えているようです。そして堂々と「タンポン・ゲート」の事件も書いてしまったという(笑)。
ただ、モーガンはスキャンダラスな真実を世間に晒して、「チャールズって本当はこういう一面もあるんだよ」と世界に訴えたいというより、ドラマでも出てきたけれど、王政という「システム」の中で翻弄され、苦悩する普通の人々として、王族を描きたいのだな、と感じましたね。
――ドラマの中で、ダイアナ妃は「カミラと不倫中のチャールズから、酷い扱いを受けている」と訴えるインタビュー番組に出演することになりましたが、出演をやめさせようとしたフィリップ殿下の“対決”シーンがありましたよね。あの中でも、「(王政という)システム」という言葉は印象的に用いられていました。
堀江 非常によいシーンでしたが、史実では両者にそういう対話があったという記録はありません。ただ、チャールズ皇太子からモーガンが受け取った「曖昧なメッセージ」に代表されるように、ドラマでは徹底して、「王族たる者、自身の感情や意見は抑えに抑えろ」という王室に伝わる“教え”が説かれていますよね。まさに王冠(=クラウン)を構成する貴金属や宝石のように、個人の心の中で何が起きていようとも、王族たる者、公明正大、堂々と振る舞いつづけなさい、と。
第3シーズンの名シーンですが、エリザベスがベッドで寝込んでいる妹のマーガレット王女を訪問して、「私(エリザベス)が即位した頃、イギリスはまだ偉大だった。でも今は……(違ってしまった)」と嘆きます。
しかし二人は「私たち(王族の仕事は)はひび割れに紙を貼ること。私たちのすることが派手で壮大で自信に満ちていれば、私たちの周りが崩壊していても誰も気づかない」などと会話するわけですが、実際、王族たちが、そういう頭でっかちな「王族論」を語り合ったりすることってあるのかな? それも体調不良の妹をお見舞いした席で語ることかな? とは思いつつも、王族という“特殊な職業”についてうまく表現できているシーンだな、と感じました。
――個人の感情など後回しで、公明正大さだけを期待され、それに翻弄される王族の姿は『ザ・クラウン』の見どころですよね。第5シーズンでもその手のエピソードで気づいたことはありますか?
堀江 あまり話題にはなりませんでしたが、これまでのシーズンで、もっとも深刻なシーンが含まれていたかもしれません。親戚を見殺しにして、それによって英王室の安定を試みる話がサラッと出てきているんですよね。エリザベス女王とフィリップ殿下がロシアを訪問し、1918年に革命勢力の手で惨殺されたロシア皇帝のロマノフ一家を追悼する儀式に参加したシーンを覚えておいででしょうか。私はこれこそが、『ザ・クラウン』第5シーズン最大の問題だったのでは、と考えています。次回につづきます。