『ザ・ノンフィクション』箱根と京都、芸者の違い「母と娘の芸者物語 ~箱根で生きる女たち~」
日曜昼のドキュメント『ザ・ノンフィクション』(フジテレビ系)。8月28日の放送は「母と娘の芸者物語 ~箱根で生きる女たち~」。
あらすじ
通常、国内外から年間2000万人が訪れる箱根には置屋が31軒あり、約150人の芸者が所属している。32歳の茶々は3代続く芸者の家系で、自宅は母の温味(あつみ)が経営する置屋「喜田見(きたみ)」(「喜」は「七」を三つ重ねた字が正式表記)を兼ねている。
茶々は当初芸者になるつもりはなかったものの、特にやりたいこともなく、高校卒業後温味の勧めでなんとなく芸者になったと話すが、それから14年、今では踊りの稽古もつけており、自分もいずれ温味のように置屋を出し、箱根の街を盛り上げたいと話す。
しかし、2020年4月に新型コロナウイルスの感染拡大により緊急事態宣言が出され、にぎわっていた箱根の街から人が消える。お座敷もなくなり、茶々は2カ月間全く仕事がなかったと話す。なお、頼みの補助金もいわゆる水商売は当初、対象外だったそうだ。
緊急事態宣言が明けた同年7月、置屋の女将たちで構成される箱根湯本芸能組合(湯本見番)も街を盛り上げようと踊りのイベントを開くものの、人がまだ箱根に戻っておらず、なじみ客がひとり来ただけ、という状況だった。
その後もGoToキャンペーンなどで人が少し戻ったかと思えば、またも緊急事態宣言が発令され、コロナの感染状況に翻弄される日々が続く。そんな状況で30人の芸者が箱根の街を去ったという。
一方、この状況で飛び込んでくる新人もいる。別の置屋のるか(20歳)は茶々同様、母親のひさ芽が置屋を営んでいるが、当初は芸者になる気はなかったようだ。しかし語学留学先のアメリカで日本文化の良さを知り芸者になる決心をする。ただコロナでお座敷がなく、同年12月には小田原の土産店で働くるかの姿があった。
出口の見えない状況が1年以上も続く中、21年9月、茶々は当初の目標であった置屋としての独立を決意する。茶々は女将である温味にもう少し芸者として貢献してから独立したいという思いがあったようだが、当の温味は茶々の決断をむしろ後押ししたようで「(現状に)負けてほしくない、やるとなればものすごくできる子だと信じているので」と太鼓判を押す。
21年9月、茶々は新たな置屋を開き、かつて温味のもとで働いていた芸者、いち路が茶々のもとで働くことになる。箱根に客足も戻りつつある21年末、女将となった茶々を見て、温味は「茶々ちゃんも楽しいんじゃないですかね、今。それを見ている私も楽しいです」と笑っていた。