「医者に診せてはいけません」フィリピン仕込みの“心霊手術”で破滅した、日本心霊学会の“神さん”【豚の血・心霊手術詐欺事件 後編】
1996(平成8)年10月。「手術室」で心霊手術の真っ最中だった日笠志摩子(仮名・当時57)のもとに、警察がなだれ込んだ。昭和のころ、テレビで「心霊手術」をご覧になった方もいるのではなかろうか。病を患う患者を寝台に寝かせ、その患部に術者が手を突っ込む。何やら手元を動かすと、患者の体から病巣と思しき血まみれの臓物が取り出される。メスも麻酔も使わないのに患者は痛みも感じず、手術が終わるのだ。
かつて、まるで奇跡のようにテレビで放送されていた、この摩訶不思議な手術で、もちろん病気が治るわけでもない。しかし平成の時代に、日本でこの「心霊手術」を行っていたとして詐欺容疑で逮捕されたのが、志摩子である。
被害者は全国で約300人にのぼり、被害総額は数千万とも億単位ともいわれる。さらに札幌の“患者”からは600万円のベンツまでプレゼントされていた。
心霊手術という名の詐欺治療を続けてきた志摩子は、第二次世界大戦が始まる前の1939年、三重県某市の海岸沿いにある漁業の町に生まれた。 食べ物のない時代だったが、漁業の街の住人が飢えることはなかった。街の男たちは、洋服や和服の生地のニセ反物を売り歩く“詐欺商法”で儲けていたのだ。
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化粧品のセールスレディーの傍ら“心霊療法”
そんな大人たちを見て育った志摩子は、群を抜いて“おませな子”だったという。父親の女性関係の多さに愛想をつかした母親は、3人目の子を産むと実家に帰ってしまった。魚の加工業で成功していた父親は、さらに女性関係に熱心になった。祖母が面倒を見てくれはするものの、長女だった志摩子は、幼い頃から弟や妹の母代わりを強いられた。
「私はお母ちゃんに捨てられたんだ。なのに、お父ちゃんはいつも若くてきれいな女の人ばっかり追いかけてる」
幼心に人間不信が植え付けられた志摩子は、中学生になる頃には同級生の中でも異色の存在となる。人当たりがいいのに負けん気が強く、野心が人一倍強い女子へと成長していた。
「私は結婚なんかしない。それより世間を股にかけてお金を稼がなくちゃ。そうでなきゃ、人生つまらない」
高校を卒業すると同時に地元を飛び出し、名古屋に出て、大手化粧品会社に就職。歩合制の化粧品のセールスレディーとなる。これと思った相手であれば、男女問わず懐に入る話術をすでに持っていた志摩子は、たちまちトップの売り上げを記録した。
このセールスレディの仕事と並行して始めたのが、もっと儲かる独自の“心霊療法”だった。セールスのために赴いた先に病人がいると聞くと、志摩子はこう言うのだ。
「私が治せると思う」
訝る客に、さらにたたみかける。
「お加持さん(編注:加持とは患部に手をかざしながら治癒や癒やしなどを与えていく手法)って知りませんか? 私の祖母は、ずいぶんと人助けをしてきました。医者から見放された人が、祖母のお加持さんを受けると治ってしまうんです。私は小さい頃から霊感が強くて、いつの間にか祖母と同じようなことができるようになっていたんです。やってみましょう」
もちろん、志摩子は加持祈祷などやったこともないが、彼女は人の気持ちを掴むことにかけて、ずば抜けていた。独特の強い眼差しで、相手の瞳の奥を覗き込むように見ると、相手はそれだけで飲まれてしまうのだった。
患部をなでて、さも治療をしたかのように振る舞うと、いい気持ちになり「治った」と勘違いする客が続出。“治療”による収入が、化粧品販売のそれを越えるまでに、さほど時間はかからなかった。