『ザ・ノンフィクション』善意の人は、時に厄介「うちにおいでよ ~居候たちの家~」
誰しも親に対して、大なり小なり複雑な感情はあると思うが、ユリとコウジのそれは30歳、29歳という年齢からするとかなり根深いものだった。その感情を抱くまでに、親子で葛藤があったのだろうし、特に医者になることを親に強いられてきたコウジの場合、教育虐待の可能性もあったのでは、と想像できる。
一方で、現在のコウジは森川家に生活費も入れない居候だ。明希を引き取り、森川家が手狭になっているのだがら、「僕らはそろそろ出ていきますね。お世話になりました」くらいコウジには言ってほしかったが、煮え切らずぐずぐずしていて、出ていくのも愛に促され、ようやく、といった姿勢に見えた。
また、2人が森川家を出るとき、餞別に森川夫妻はお金を渡していたが、コウジとユリが用意していたのは「手紙」。生活費すら入れていなかったのだから、せめて菓子折りくらい用意すればいいのにと思った。
カットされていただけで実は渡していたり、また、森川家側が出産でこれから入り用だから餞別はいらないと事前に伝えていたことを願うが、本当に手紙以外何も渡していなかったのなら、2人には「お世話になった人とのお別れに用意するモノ」を考えたことが、今までなかったのかもしれない。一般的な就労経験があれば、教えられずとも身についていることのようにも思う。
コウジとユリは親との葛藤を抱え、自分探しに奔走した20代を送ったように見えるが、一方で、社会における年相応の常識を身につけることはなかったのだろう。こうした姿に幼さを感じる。
なお、コウジは大学時代に受験しなかった医師国家試験に改めてチャレンジしようとしている。河合塾のデータでは、国家試験の合格率を出身大学別にまとめたページがあるが、明らかにどの大学も新卒者の合格率が高く、既卒者の合格率は5割程度まで落ちるケースも多い。
学生時代の勢いや流れに乗らないと、一気にハードになってしまうのだろう。コウジがもし医者になるなら、「最後の壁」はかなり高そうだ。