「同性愛は治療で治る」韓国・ユン大統領秘書の発言が炎上! 映画『私の少女』が描く「LGBTと社会」の現在地
本作において、未熟な韓国社会を象徴しているドヒが、継父や祖母の暴力から解放され、成長と成熟を遂げるためには、どうすればいいだろうか? 映画では「祖母の死に関与(疑い)し、継父を誘惑して罠に陥れる」ドヒの行動が描かれるが、そこにはLGBTを「病気」と断定し、「不道徳で不潔で罪」であるとしてきた「異性愛イデオロギー」にとらわれている前近代的な儒教的思想を断罪し、理性や論理に頼らない力ずくの脱却を訴える、作り手の強烈なメッセージを見いだすことができる。
ドヒと共に村を後にするヨンナムの姿は、決してハッピーエンドとしては描かれない。しかし、それまでの抑圧から解き放たれようとしている2人を通して、韓国の現実と希望が提示されたといえるだろう。
韓国には「끼리끼리(~同士)」文化というものがある。「男女七歳にして席を同じゅうせず」という言葉を引くまでもなく、幼い頃から「男女別々」の観念が頭に焼き付いている社会において、「男同士」「女同士」という概念はごく自然な文化であり、そこでは手をつなぐ、肩を組む、抱き合うといった同性同士のスキンシップは、当たり前のように「友情の印」を意味していた。
だが、同性同士の「ホモソーシャル」な関係は、「ホモセクシュアル(同性愛)」を徹底的に排除する異性愛イデオロギーの上に成り立っているため、そこにわずかでも同性愛の気配があると、「~同士」文化は根底から崩れることになる。
韓国社会におけるLGBTへの異様なまでの拒否反応は、己が築き上げた儒教、異性愛、ホモソーシャルな伝統の崩壊に対する無意識の恐怖であり、その脅威がすでに現実のものとなりつつあることを、この映画は教えてくれるのである。
崔盛旭(チェ・ソンウク)
1969年韓国生まれ。映画研究者。明治学院大学大学院で芸術学(映画専攻)博士号取得。著書に『今井正 戦時と戦後のあいだ』(クレイン)、共著に『韓国映画で学ぶ韓国社会と歴史』(キネマ旬報社)、『日本映画は生きている 第4巻 スクリーンのなかの他者』(岩波書店)など。韓国映画の魅力を、文化や社会的背景を交えながら伝える仕事に取り組んでいる。