秋篠宮家、悠仁さまの進学はどうなる? 天皇をめぐる歴代の教育問題、授業についていけず1年で中退のケースも
「皇族はスーパースター」と語る歴史エッセイストの堀江宏樹さんに、歴史に眠る破天荒な「皇族」エピソードを教えてもらいます!
――今回は前回に続いて、明治以降の天皇家と学習院の関係についてお話いただけるとのことですが。
堀江宏樹氏(以下、堀江) はい。幕末の光格天皇によって発案された学習院の歴史は、その孫にあたる孝明天皇の時代に具体的なスタートを切りました。しかし、孝明天皇の皇である、(後の)明治天皇は学習院には一度も通ったことがありません。
前回もお話したように、貧しい公家の子弟のための学校組織が学習院であり、当時も皇族やステイタスの高い公家の生徒は自邸に師匠を招いて家庭教師してもらうのが通例だったからです。
――学習院=天皇家の人々が必ず通う学校というわけではないのですね。
堀江 そうです。ちなみに明治天皇(今回は幼名である迪宮ではなく、理解しやすさの観点を重視し、少年時代から明治天皇とお呼びします)は高名な学者の伏原宣輸(ふしはら・のぶさと)らを御所に招いて、漢学の基礎にあたる“四書五経”の教授を受けています。
少年時代の明治天皇は『三国志』、(平家物語の異本である)『源平盛衰記』、『太平記』など歴史創作物を自力で楽しみながら読むようになり、“ご学友”と歴史の英雄たちの話で盛り上がったそうな。個人授業を受ける時に御所に複数の子どもたちが呼ばれ、明治天皇と同じ授業を受けていたわけですね。
なお、欧米文化の知見を取り入れた近代的な政治学や軍事学の個人授業は、明治天皇が東京に移動した後に本格的に行われています。
――ということは、明治天皇は一度も学校に通われなかったのですね!
堀江 そうなんです。学習院大学が誕生したのは昭和24年(1949年)で、それ以前の世代は学習院には高等科(=高校)まで通って、各地の帝国大学などに進学するケースが大半だったということですね。なお、学習院高等科の卒業生は成績と運が良ければ、東京帝大、京都帝大にも推薦入学することもできました。
――悠仁親王も東大に推薦入試で入学しようとしているといううわさがありますが……。
堀江 長い間、推薦入試制度のなかった東京大学が、平成28年度から推薦入試を復活させることになったが、それは東大進学を志している悠仁親王への忖度では……などと語られるアレですね。
ただ、戦前の推薦制度は、少し事情が違いますね。戦前では、学習院を含む各地の高等学校の卒業生が「僕は○○大の○○学部に行きたい」という希望を大学に出すところから始まります。しかし、本当に無試験で推薦入学できるのは、その○○大の○○学部が不人気で定員割れを起こしている場合に限られました。
たとえば学習院高等科に入学した三島由紀夫(本名・平岡公威)の場合は、超人気学部だった(東京)帝国大学の法学部を志望し、厳しい筆記試験を勝ち抜いた末に入学資格を得たということになります。
――そうなんですね。天皇家で最初に学習院に行った方は?