40代で若年性認知症になった夫――「逆に雄弁に社交的になった」変化に戸惑う妻
“「ヨロヨロ」と生き、「ドタリ」と倒れ、誰かの世話になって生き続ける”
――『百まで生きる覚悟』春日キスヨ(光文社)
そんな「ヨロヨロ・ドタリ」期を迎えた老親と、家族はどう向き合っていくのか考えるシリーズ。
若年性認知症の日常を発信しはじめた
上原苑子さん(仮名・48)の夫は若年性認知症だ。40代なかばで発症し、5年が過ぎた。できないことは増えていると夫も上原さんも感じているのだが、第三者から見るとそうではないらしい。
夫と会って話した人からは、抱いていた認知症のイメージと違うせいか「普通に会話ができるので驚いた。本当は認知症じゃないんじゃない?」とよく言われる。夫はそう言われることがイヤなのだという。
「慰めたり、励ましたりしているつもりかもしれませんが、傷つく言葉らしいです。間違いなく認知症なのに、否定されているように感じるって」
もっとも、上原さんも夫が若年性認知症と診断されたとき、何かの間違いであってほしいと思った。誤診じゃないか。単なる物忘れじゃないかと思ったし、そう思いたかった。
夫は仕事を辞めざるを得なくなり、しばらく二人は暗闇の中にいるようだったと振り返る。それが、認知症初期集中支援チームのサポートで新しい職場で居場所を見つけると、吹っ切れたように外に向かって自分の病気や日常について発信するようになった。
得意のイラストを生かしてブログやSNSを更新するとともに、認知症当事者のグループや家族会などで話を始めたのだ。そのうちに、医療介護の専門職の勉強会や学校での講演もするようになった。
それらの活動が地元マスコミに取り上げられると、大きな反響を呼び、イラストや原稿の依頼が舞い込むようになった。こうなるとちょっとした有名人だ。
本当は静かに暮らしたい
「それまで夫は無口で、何を考えているのかもよくわからないような人だったんです。それが若年性認知症になって、逆にどんどん雄弁に、社交的になっていったのには驚きました」
まるでそれが使命であるかのように、忙しく活動する夫に上原さんは当惑することもあった。夫をメインに据えて、街づくりの新しい事業をはじめたいというベンチャー企業まで現れた。さまざまな思惑を持った人たちが近づいてきては、夫を持ち上げては利用しているだけに思えた。
そうするうちに、上原さんにも夫と一緒に取材を受けてほしいという依頼が来るようになった。夫のイラストに妻もたびたび登場していたから、興味を持たれたのだろう。断ろうと思ったが、世の中に発信することが夫の生きがいとなっている今はできるだけ協力した方がいいだろうと思い直し、取材を受けることにした。