コラム
【連載】堀江宏樹に聞く! 日本の“アウト”皇室史!!

皇室ブランドの「学習院」、そもそも“獄道者”予備軍の救貧学校だった!? イメージと大違いの史実

2022/04/09 17:00
堀江宏樹(作家・歴史エッセイスト)

――そんな学習院のその後の歴史は?

堀江 弘化4年(1847年)3月、京都御所の敷地内に「学問所」の建物がようやく完成、講義がはじまったそうです。すでに光格天皇の孫にあたる孝明天皇(明治天皇の父宮)の治世がはじまっていました。

 その後、明治2年(1869)年、明治天皇が京都から東京に移ると、臣下の公家たちの多くもそれに付き従いました。また、この頃、明治維新に協力した人たちだけでなく、明治以前に公家や大名だった家の子孫たちのことも日本の特権階級として「華族」と呼ぼうと決まり、華族たちの子弟を中心にした教育機関が現在の千代田区神田の錦町に設立されることになったのです。

 それで、明治10年(1877)年10月に、この“華族学校”がようやく開校するとなったとき、明治天皇が「学習院という名前にしなさい」という旨の決定をして、学習院の名前が受け継がれることになったのです。だから、これが学習院の最初の大きな転換点ですね。

――でも、教育機関側としては、貧乏公家のための学校だった学習院の名前を、もしかしたら引き継ぎたくなかったのかもしれませんね。

堀江 ありうる話だと思いますよ。ちなみにこの頃の学習院は男女共学でした。先進的でしたが、生徒には「男女七歳にして席を同じゅうせず」という古い倫理観を払拭できないご家庭が多く、女生徒は少なかったようです。

 そういうことで、華族の生徒たちが中心に通う「華族女学校(=女子学習院の前身)」が明治18年(1885年)に開設された、と。

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