映画『野球少女』で描かれた、韓国初の女性野球選手はいま――物語とは決定的に異なる「悲しい」結末
だが、本作の真のメッセージはそうではない。映画では、スインが自分の最大の武器として変化球の「ナックル」を磨き、弱点が最大の長所に変化していく過程を描くことで、力がすべてではないことを証明してみせ、それがスインの未来を切り開いていくことになる。
つまりチェ監督も述べているように、本作の核となるのは、スインによって象徴される「弱者・マイノリティー」が何かに挑戦することを肯定し、周囲もまた彼らの挑戦を諦めさせるのではなく、後押しできるような社会の取り組みが必要であると訴えることだ。
では翻って、モデルとなったアン・ヒャンミの現実はどうだったのだろうか? 1981年生まれのヒャンミは、弟の通う野球教室に遊びに行ったことがきっかけとなり、小学校5年生で野球を始めた。弟が教室をやめてもヒャンミはどんどん野球の魅力に取りつかれていったが、野球部があるのは男子中学ばかり。それに韓国では、私立を除き、家から近い学校順に、抽選で行き先を決められるため、仕方なくヒャンミは女子中学に入学した。
しかし、野球教室の監督の計らいにより、野球部のある男女共学中学に転校がかなう。そして性別欄に「女」と書いた初めての野球選手としてソウル市の野球協会に正式登録され、その存在は当時のメディアにも大きく取り上げられたため、ヒャンミはたちまち時の人となった。
中学では主力選手にはなれず、主にベンチ要員として試合に出場。それでも練習だけは誰にも負けない熱心さで、監督からも「根性のある選手」と褒められた。だが、問題は高校進学。男女一緒に活動できる野球部は数えるほどで、「身体的能力の差」を理由に入部を断られるなど、ヒャンミを受け入れてくれる高校の野球部はなかった。
それでもヒャンミの野球に対する情熱は消えず、ソウル市の教育庁を動かした。彼女が高校の野球部に進学できるよう教育庁が「体育特技生」に認定し、高校側もそれを受け入れたため、今度は初の高校野球女子選手が誕生したのだ。