芸能
[連載]崔盛旭の『映画で学ぶ、韓国近現代史』

人気の韓国映画『7番房の奇跡』、時代設定が「1997年」だった知られざる理由

2022/02/04 19:00
崔盛旭(チェ・ソンウク)

 72年、永久独裁をもくろんだパクが、憲法まで改悪して「維新体制」を宣言する(維新体制についてはコラム『1987 ある闘いの真実』を参照)。

 三権分立などお構いなしですべての国家権力を一人の独裁者に集中させた維新体制は、国民の自由と民主主義を踏みにじる前近代的なものだと当初から反発は大きく、中でも大規模な学生デモは独裁政権にとって何よりの「脅威」だった。どんな手を使ってでも抑え込みたかったKCIAは74年、またしても「学生デモを背後で操っているのは北のスパイ」とのでっち上げを発表した。そして、KCIAの筋書きに合わせて、10年前に「人民革命党党員」と決めつけれた被害者たちを含む新たな「北のスパイ」が引きずり出されたのである。

 かつて「人民革命党党員」に仕立て上げられた被害者たちは、10年の時を経て、今度は党を再建し、学生デモを背後で操り国家転覆を狙ったとして、再びKCIAによって「北のスパイ」の汚名を着せられることとなったわけだ。裁判では事件の「主犯」と名指しされた8人に死刑が言い渡され、当然上告したが、大法院(最高裁判所)が棄却し、刑が確定。

 そして信じがたいことに、刑の確定からわずか18時間後の75年4月9日に死刑が執行され、無実の8人の尊い命が奪われたのである。驚くべき速さでの死刑執行は、家族にすら知らされなかったという。独裁者に逆らえばこうなるという見せしめのような仕打ちであった。

 あまりに短時間のうちに行われた独裁政権の蛮行は、国内外からおびただしい非難を招いた。アムネスティ・インターナショナルは抗議声明を出し、国際法律家委員会(ICJ)はこの死刑を「司法殺人」と非難、執行日の4月9日を「司法暗黒の日」と宣言するに至った。人民革命党事件をめぐる裁判と判決は、韓国の消えない汚点として、世界に記憶されることになったのである。

 この事件はその後、2000年に当時のキム・デジュン政権が立ち上げた「疑問視真相究明委員会」(前述の「過去史委」はノ・ムヒョン時代の名称で、両者は同じような位置づけ)が再調査によって、捏造による冤罪事件であることを発表、犠牲者たちの再審が行われ、07年、8人は無罪となった。その死から30年以上がたって彼らの名誉は回復されたが、権力のスケープゴートにされて奪われた命を思うと、そのむなしさが晴れることはない。

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