人気の韓国映画『7番房の奇跡』、時代設定が「1997年」だった知られざる理由
近年、K-POPや映画・ドラマを通じて韓国カルチャーの認知度は高まっている。しかし、作品の根底にある国民性・価値観の理解にまでは至っていないのではないだろうか。このコラムでは韓国映画を通じて韓国近現代史を振り返り、社会として抱える問題、日本へのまなざし、価値観の変化を学んでみたい。
『7番房の奇跡』
韓国でよく使われる言い回しのひとつに、「세상에 이런 법은 없다(セサンエ・イロン・ポブン・オプタ、世の中にこんな法はない)」というものがある。例えば濡れ衣を着せられたときや納得し難い状況に直面したときに、「こんな理不尽なことを許す“法”が世の中にあるわけがない!」と悔しさや理不尽さを強調するための表現だ。
これがいつからどのように使われるようになったかは特定できなかったが、ある韓国の歴史からその背景を探ることは可能かもしれない。それは、法の名の下で不当な判決を繰り返し、「冤罪」の犠牲者を数多く生み出してきた、韓国の司法における負の歴史である。
帝王的独裁を敷いた初代大統領のイ・スンマンから、最も長く政権を維持したパク・チョンヒ、光州事件を首謀した罪を最後まで否認したまま昨年亡くなったチョン・ドファンとその後継者ノ・テウまで、韓国で長く続いた軍事独裁時代には、権力者の命令が法に優先して扱われ、彼らの意向に合わせて法が利用されていた。
『弁護人』『1987 ある闘いの真実』『チスル』『殺人の追憶』などのコラムで言及してきたように、警察・検察の拷問による虚偽自白や証拠捏造、それに対する司法の黙認、法ではなく権力に従った判決など、当時の政治・社会的構造そのものが冤罪とその被害者を作り出してきたのだ。
受け入れがたい不当な判決を受けるたびに、被害者や遺族をはじめ多くの国民は、「世の中にこんな法があるはずない!」と憤慨してきただろう。そしてそれがいつの間にかひとつの言い回しとなって定着していったのではないだろうか。少なくとも法の執行において、司法が法に基づいた公正な判断ではなく、権力者の顔色を判決の尺度にしてきた歴史があることは事実だ。
今回のコラムでは、ファンタジーを交えながら冤罪を描いた『7番房の奇跡』(イ・ファンギョン監督、2012)を取り上げ、映画の基になったという実話や、「韓国史上最悪」と言われる裁判について紹介したい。死刑制度そのものは残っているものの、刑の執行は停止されて事実上死刑が廃止されている韓国の現状が、どのようにもたらされたかを知るヒントにもなるだろう。
<物語>
1997年、知的障害を持つイ・ヨング(リュ・スンリョン)は、幼い娘イェスン(カル・ソウォン)と2人暮らし。駐車誘導の仕事に就いているヨングは、イェスンが欲しがっていたランドセルを買うためにお金を貯めていたが、店にあった最後のひとつが売れてしまい、がっかりする。数日後、最後のランドセルを買った少女が、同じものを売っている店まで案内してくれるというのでついていくが、路地でヨングは転んでしまい、ようやく追いつくと、少女はなぜか倒れて死んでいた。訳がわからず、警備の仕事で教わった救命措置を施すヨングだったが、その様子が逆に怪しまれ、彼は誘拐と殺人の罪で逮捕されてしまう。
収監された刑務所の7番房の面々にいじめられるヨングだったが、ケンカに巻き込まれた房長(オ・ダルス)を自分の命を顧みずに助けたことで信頼を得る。恩義を感じた房長は、娘に会いたがっているヨングのため、聖歌隊の慰問を利用してイェスンを7番房に招き入れる。再会に歓喜する父娘の姿に、7番房のメンバーもヨングの無実を信じるが、アクシデントから帰りそびれたイェスンは、密かに7番房で一緒に生活することに……。
一方、自身もヨングに命を救われた刑務所課長(チョン・ジニョン)は、ヨングの罪に疑問を持ち、事件を調べ始める。そして亡くなった少女が警察庁長官の娘で、なんとしても犯人逮捕しなければならなかった警察の強引な捜査によってヨングが犯人にされてしまったことがわかると、刑務所総出でヨングに証言を練習させて裁判に備える。しかし迎えた公判でのヨングの証言は、練習とはまったく異なるものだった……。