オダギリジョーは「テレビドラマの異物」? 朝ドラ『カムカムエヴリバディ』で注目集める存在感
そんなオダギリの出世作が『仮面ライダークウガ』(テレビ朝日系)という、本来なら自然体とは真逆の、キャラクターとしての振る舞いが求められる場所だったのは、今考えても面白い。オダギリの成功以降、いわゆる平成『仮面ライダー』シリーズはイケメン俳優の登竜門となっており、綾野剛、佐藤健、菅田将暉、福士蒼汰といった数々の若手スターを輩出する“男の朝ドラ”といでもいうようなドラマ枠となっているが、まずは平成ライダー第一作である『クウガ』が、オダギリのナチュラル演技を許容したことが、大きかったのかもしれない。
一方、『リバースエッジ』の記者会見で「民放のドラマですごい低視聴率を獲ってゴールデンはもういやだ。テレビでやるなら深夜かWOWOWだと思った」と、オダギリが語ったことが話題となったが、『家族のうた』(フジテレビ系)が低視聴率で打ち切りになったことは、本人の中では苦い黒星となっているのではないかと思う。
『極悪がんぼ』の刑事役のように、オダギリのナチュラルな演技は群像劇の時には複数のキャラクターの1人として個性が際立つが、主演の場合、脇役や演出が、オダギリの水準に演技のトーンを合わせないと途端にバランスの悪いものとなってしまう。『アリスの棘』の上野樹里との芝居は緊張感のあるやりとりとなっているが、上野以外の役者がオダギリと絡むと、表情の演技が過剰で記号的なことがあからさまにわかってしまう。テレビドラマにおいて、オダギリの自然な演技は、実は危険な異物なのだ。
『リバースエッジ』は、そんなオダギリの個性を理解した上でリアリティの水準を築き上げているため、画面上の違和感はまったくない。しかし、それがオダギリに対して作り手が遠慮しているように見えて、全てが自己完結した世界に見えてしまうのが惜しい。多くの人が関わるテレビドラマなのだから、役者と作品が激しくぶつかり合うことで生まれる化学変化が見たいと思うのは贅沢なことなのだろうか。
おそらくオダギリは、今後も『アリスの棘』のジャーナリストや『S―最後の警官―』(TBS系)の国際テロリストのような、出番は少ないが印象に残る役を卒なくこなしながら、映画や深夜ドラマで本当にやりたい仕事を実現するという方向で生きていくのだろう。それは役者としては絶対に負けないクレバーな戦略だが、深夜ドラマという局地戦でしか彼の個性が発揮されない現実に歯がゆさを感じる。日本のテレビドラマはオダギリジョーという才能を、いまだうまく使いこなせていない。
(成馬零一)