『エクストリーム・ジョブ』を韓国コメディ映画部門の歴代1位に押し上げた、韓国の国民食“チキン”
朝鮮半島では、そもそもニワトリは主に卵を得るために飼育されていた。古くからの習わしに「婿が来たらシアンタク(씨암탉、卵を産むめんどり)をつぶす」というものがある。貴重なめんどりを料理してもてなすほど婿は大事だという意味だが、同時にニワトリの飼育の目的が肉ではなく卵であることも表している。『백년식사(百年食事)』という本によれば、食用の鶏肉が量産され毎日のように食べるほど一般化したのは、1960年代に入ってからだという。ニワトリは肉より卵、という認識はずいぶん長い間続いたというわけだ。
さらに調べてみると、最も古いもので1929年8月11日付の「東亜日報(동아일보)」の記事に「トンダク」の文字を見つけることができた。記事の内容としては、焼き畑農業をなりわいとする「火田民」たちが立ち退き命令を免れるため、役人が取り締まりに来るたびにトンダクで接待したが、結局山を追われてしまったというもの。植民地時代は土地を失った農民の多くが火田民となっていたのだが、この頃から「トンダク」という言葉が用いられていたことは興味深い。
記事ではさらにハングル文字の横に「統鶏」という漢字まで添えられている。「1羽を丸ごと料理した」を意味するその漢字は、現在の意味とそう変わらないものだが、わざわざ漢字の説明までつけたのは、言葉自体がまだ一般的ではなかったからだろうか。記事には「トンダクという制度を実施」とも書かれており、貴重な鶏を1羽つぶして役人を接待すること自体がそう呼ばれていたのかもしれない。
前述したように60年代に入ると鶏肉の消費量が一気に加速するのだが、その背景には政治的な事情が存在する。朝鮮戦争後、牛肉の消費増加によって値段が高騰すると、当時の朴正煕(パク・チョンヒ)独裁政権は国民に対し、鶏肉の消費を積極的に促すようになった。
そして62年に、元祖トンダクともいえる「電気焼きトンダク」が鶏肉の新たな食べ方として登場した。塩コショウで味付けしたニワトリ1羽を丸ごと金串に刺し、電気オーブンでくるくる回しながら焼いたトンダクをメニューに出した店の名前は、「明洞(ミョンドン)栄養センター」。新聞広告には「韓国初」「味が特異」「遠足・パーティー・お祝いに」といった文句が躍っている。「栄養センター」という名前は、鶏肉の消費を奨励した政府が、鶏肉には栄養が豊富であることを強調したこととも結びついているのだろう。以後、「栄養センター」はトンダク屋を表す代名詞として定着し、数は減ったが現在も健在だ。
牛肉の値段が不安定になり、政府の鶏肉増産政策が強化されるといった「悪循環」(当時の新聞による)が繰り返された60年代、とりわけ後半になると栄養センターは全国的に急増していった。明洞栄養センターが慌てて新聞に「ほかの電気焼きトンダクはすべて偽物」という広告を出すほどだった。
だがいくら元祖でも時代の流れには逆らえず、70年代に入ると学術的にも「牛肉より鶏肉のほうが高栄養」と証明されたことも後押しとなり、栄養センターはさらに増え続けた。と同時に、「生ビール」とのセットで宣伝する店も現れるようになった。ちなみに筆者が初めて食べたトンダクも、この電気焼きのものだった。小学生の頃、テストで良い点数を取ったご褒美として父が買ってくれたのを覚えている。
競争が激しくなるなか、突破口となった「冷たいビールと香ばしいトンダク」のコラボは、あっという間に栄養センターの定番メニューに君臨した。生ビールとトンダクを楽しむ場面が小説やテレビドラマにも描かれるようになり、大衆の日常生活に急速に普及していった。のちの「チメック」の始まりである。そして忘れてならないのは、大豆油の大量生産によって食用油の値段が下がり、いよいよ揚げたトンダクが登場したことだ。こうして流れは一気に揚げトンダク(=フライドチキン)へと傾いていく。