『ザ・ノンフィクション』遺影専門の写真館「笑顔の一枚とあなたの記憶 ~家族へのおくりもの~」
日曜昼のドキュメント『ザ・ノンフィクション』(フジテレビ系)。12月5日の放送は「笑顔の一枚とあなたの記憶 ~家族へのおくりもの~」。
あらすじ
東京、中野で遺影専門の写真館「素顔館」を営むカメラマンの能津喜代房(73)。13年間で5,000人以上の遺影写真を撮っており、館内には笑顔の遺影が並ぶ。
能津はもともと広告カメラマンだった。カメラを質に入れるほど暮らしが厳しかったころに生活を支援してくれたのは義父だが、その義父が亡くなった際に写真を撮っていなかったことを後悔して、遺影写真のカメラマンへ転身した。
遺影撮影の第1号は郷里の山口で暮らす能津の両親だった。元気な時の1枚は「家族への最高のプレゼント、最後のプレゼント」と能津は話す。そんな能津のもとを訪ねた「遺影を撮影したい人」の背景を追う。
80歳の房江は、息子を5年前に37歳で亡くしてしまう。突然の体調不良で入院し、何が原因かもわからないまま亡くなってしまったという。その若さで遺影など事前に撮影するはずもなく、スナップ写真を引き伸ばして使っているため写真は少しボケている。その後悔もあり、自身はちゃんとした遺影を撮影しようと、房江は素顔館へと向かう。
2017年に能津が撮影した68歳(当時)の貴美子は、がんが進行し、気づいたときにはすでに手術ができない状況で、医師から6~9カ月の余命を宣告されてしまう。がんの治療で見た目に変化が出てしまう前に、と娘が遺影の撮影を勧めたそうだ。
貴美子の自宅で行われた出張撮影は、父親が新居の祝いにと植えた思い入れのあるバラが満開になるタイミングで行われ、そのバラを背景に、孫の吹くシャボン玉に囲まれて、貴美子は遺影を撮影した。
54歳(20年10月時)という若さで遺影写真を撮影した正樹は、取材の前月、腎臓にガンが見つかったという。手術してみないとわからない状況とのことで、腎臓を全摘出して人工透析になる可能性もあると、医師から告げられていた。
今一番(健康状態が)いいときに自分の写真があってもいい、と撮影を依頼する。幸い手術はうまくいき、短期での職場復帰を果たしていた。
番組の最後では、17年の撮影から4年たった貴美子が、孫を抱きかかえるほど元気に過ごしている姿も伝えられていた。遺影の自分自身の写真が力になったと話す貴美子は、今回、能津に家族写真を依頼していた。
「遺影」を撮影することで生まれる気持ちの変化
冒頭で紹介されていた房江は、番組で見る限り、健康上に問題はない状態での遺影撮影だったと思われる。その後、出来上がった遺影を近所の人や娘にお披露目していたが、その場で笑いも出てしまう、ちょっとユーモラスで、朗らかで、ほのぼのとした雰囲気だったのが印象的だった
そもそも遺影を本人がお披露目するというのも、なんともシュールだ。足元に迫った死を笑うことは難しいが、自身が健康で死が少し遠い距離にあるときは、ユーモアをもって扱うと、思わず笑ってしまうことがあるだろう。それは、死という最大の恐怖からちょっと救われる、ほっとする笑いだったりする。
近いところにある死は深刻だが、一方で覚悟が決まることもある。余命宣告をされていた貴美子や、人工透析になるかもわからないまま手術に臨んだ正樹は、2人とも幸いその後の経過がよく、遺影が使われることなく今も過ごせている。2人とも遺影の自分の姿が力になったと話していた。
「自分の死」を意識するというのは、強烈な覚悟になるのだろう。時になんだか笑えてしまったり、覚悟が決まったりと、恐怖だけではない、さまざまな「死の持つ力」を感じた回だった。