『ザ・ノンフィクション』息子べったりだった母が「もうママは面倒を見れない」と変わるまで「母と息子のやさしいごはん ~親子の大切な居場所~」
定食屋の開店のタイミングとコロナがほぼ重なってしまったのは不運なことだったと思う。ただ、コロナがなくても飲食はもともと多産多死型の非常にシビアな業界だ。980円のアジフライ定食で、アジの仕入れだけで400円になってしまうことにまるで危機意識を持っていないように見える大貴と、本来はそれにブレーキをかけるべき立場なのに、まるで止めない貴美子。
貴美子は金勘定という経営の心臓を見て見ぬふりをしてズルズル来てしまっているように見えたし、大貴に至ってはその意識も希薄なように見えた。
充明が家族会議で話していた「いろいろ(母親が決めないで)選択肢を」という言葉が、これから大貴が生きていくためにかみしめた方がいい言葉のように思える。「引きこもっているよりは」「雇われて働くのは難しいだろう」という思いから貴美子は大貴に店を持たせたのかもしれないが、番組の最後で貴美子は、事前に障害があることを伝えたうえで、雇われて働く選択肢もあるのではないかと話していた。さすがに今回、金がかかりすぎたという反省があったのだろう。
一方の大貴は番組の最後で、いずれは自分の店を持ちたいと話し、近隣の空き店舗を探すなど「飲食店オーナー」を諦めきれてない様子に見えた。コロナは本当に不運だったと思うが、この店が立ち行かなかったのはコロナだけのせいではないし、金は湧き出てくるものではなく親が工面したものだ。
大貴の姿は、今回の閉店という結果について特に反省する意識はないようで、危うさを感じる。飲食店オーナーの適性はないように見えるため、その立場に固執すればまた同じことの繰り返しになってしまうのではないだろうか。
次週は「ボクと父ちゃんの記憶 ~家族の思い出 別れの時~」。子どもながら人の世話をしなくてはならない境遇にある子どもや若者を「ヤングケアラー」という。若年性アルツハイマー型認知症と診断された父親を介護する高校3年生の大介やその妹たちもそうだ。病状の進行で介護が限界を迎える中、家族の下した結論は……。