サイゾーウーマンコラム結婚15周年の日に離婚を切り出され家庭内別居に コラム 【連載】わが子から引き離された母たち 結婚15周年の記念日に離婚を切り出されたオーストラリア女性、日本人の夫とは家事の分担や仕事のことで行き違い、家庭内別居に 2021/09/19 18:00 西牟田靖 離婚子育てわが子から引き離された母たち 日本人と結婚し、日本に移住 ――5年一緒に住んだ後、なぜ結婚したのですか? 1年間、彼はシドニー、私はメルボルンで暮らしました。というのも、彼、シドニーで仕事が決まったんです。そこは日本人の人材を探している会社。面接に行ったら採用になりました。一方、私は国際交流基金の奨学金をもらうことが決まっていて、「2カ月休んで日本に行ってもいい」と職場も言ってくれていた。そんな状況なのに、「奨学金はいらないので辞めます。シドニーで彼と一緒に住みます」って言いにくいじゃないですか? ――それで1年、仕事の都合で別居した後、結婚したんですね? そうです。彼がシドニーに住み始めた後、「結婚しよう」という話になりました。結婚式は両方の国でしました。2002年7月にオーストラリアのワイナリーで、友達数人とお互いの両親を呼んで、式を挙げました。そして10月には大阪のお寺で結婚式を挙げて、結婚届を出しました。その後、日本で暮らし始めました。彼の会社は東京にも支社があるから、「日本に住みましょう」と私が提案した。すると彼がOKした。 ――当然、一緒に日本に移住したんですよね? そうです。でも、タイミングがバラバラでした。仕事の関係で私だけ一足先に、03年1月に東京へ引っ越しました。仕事はALT(アシスタント・ランゲージ・ティーチャー)。都内の学校に派遣されて英語を教えていました。彼は4月にシドニーから東京へ転勤してきて、一緒に住み始めた。 家事や子育ての分担意識の違い ――お子さんが生まれたのはいつですか? 03年12月のクリスマスに2人でオーストラリアへ行ったときに妊娠したみたい。だから娘は、MADE IN オーストラリア(笑)。娘を産んだのは04年9月で、私は34歳でした。小学3~4年生までは日本で、その後、オーストラリアに戻るというプランを当時は考えていた。そうすれば言葉も文化も両方の国のことを学べるから。でも、その考えは実現しなかった。 ――彼は、子育てにどのぐらい関わったんですか? 彼自身、「自分の父親をはじめとする、ほかの日本の男性よりも、ずっと自分はやっていた」と思っていたことでしょう。しかし、私の基準からすると、ずいぶん水準が低い。もちろんイーブンイーブンではなくて、私のほうがたくさんやっていた。 ――なぜ、そんなに意識が違うのでしょうか? 彼の母は専業主婦で、父は週に6日働いていた。彼の父と比較したら、確かに彼はやっている。一方、私の母は小学校の教師として働いていて、両親共働き。だから、イーブンでやるのが当たり前だった。 ――具体的には、どんな割り振りだったのですか? 保育園の送り迎えは日によって違っていた。彼がやっていたのは食べものの買い物、料理、朝に洗濯物を干す。帰宅後は、自分のシャツにアイロンをかけていた。でも、トイレットペーパー、ハンドソープ、シャンプー、歯磨き粉、洗剤がなくなっても補充はしなかった。子どもの予防接種も、私に任せっぱなしだった。 次のページ 夫が起業してから、すれ違うように 前のページ12345次のページ 楽天 Yahoo セブンネット 子どもを連れて、逃げました。 関連記事 車に監禁されて離婚届にサイン! それでも、元夫との共同養育がうまくいっているワケとは?義母との関係や夫のDVに耐えられず、子どもを置いてプレハブ小屋へ避難! 28歳で再婚した女性の告白 「これは連れ去りだ!!」不倫夫が警察官を連れて「息子を返せ」と激高! 子連れ別居した妻が「子どもと離れ離れ」になった理由「息子に毎日弁当を届けたい」21歳で結婚・出産した女性が、“わが子と会えない”理由「元夫には再婚してほしい」子どもを連れ去られ、共同親権運動を行うシングルマザーが今思うこと