皇室が揺れた、プリンセスの結婚延期と「破談」! 「巨額の一時金」と3人のお相手候補の行方は?
――へー! かなり具体的に嫁入り修行をなさっていたのに驚きです。
堀江 そうなんですよ。その中でも、一番お姉さまにあたる和子内親王がリーダーシップを発揮していたのであろうと想像されます。
というのも、48年(昭和23年)、学習院の専修科を卒業なさった和子内親王が嫁入りする前に、「一主婦としての教育をさせてやりたい」というご意思を昭和天皇が強く打ち出され、その結果、和子内親王は天皇の元侍従長だった百武三郎(ひゃくたけ・さぶろう)という方のご家庭に約1年間、“ホームステイ”なさることが決まりました。
百武さんは戦争時の空襲で幡ヶ谷にあった自宅が全焼していたので、神奈川県藤沢の片瀬海岸の別荘で当時暮らしていました。しかし、和子内親王の“ホームステイ”先に選ばれたとなると、片瀬から、皇居のそばの紀尾井町にあった宮内庁官舎に引っ越してきたそうです(笑)。
――なかなか大変だったのですね……。
堀江 両陛下が公務の合間に、和子内親王のご様子をお訪ねになる場面も百武さんの念頭にはあったのだと思います。実際に、皇后様の電撃訪問はあり、そういう時にはミツマメを作ってなんとかしのいだそうです。ちなみに家事修行に励む和子内親王の姿を「女中奉公」と呼ぶ人もいたようですね(『改造』、1950年2月号)。
――女中奉公! それにしても急なお客様のおもてなしに、ミツマメですか(笑)。確かに主婦力は磨かれそうです。
堀江 和子内親王はそのようにして、「掃除、洗濯、料理から買い物まで主婦の心得を学び(岸田英夫著『侍従長の昭和史』、朝日新聞出版)」、百武さんのご家族と共に、『鐘の鳴る丘』などのラジオドラマを聞いて楽しみました。2020年前期のNHK朝ドラ『エール』で主人公の古山裕一(作曲家・古関裕而がモデル)が、ハモンド・オルガンを生放送内でBGMとして演奏していた姿を思い出す人もいるかもしれません。まさに、あの放送を和子内親王も聞いていた、と。