コラム
【連載】堀江宏樹に聞く! 日本の“アウト”皇室史!!
皇室が揺れた、プリンセスの結婚延期と「破談」! 「巨額の一時金」と3人のお相手候補の行方は?
2021/08/21 17:00
堀江 しかし、天皇家と血縁的に、そして生活文化的にも近い皇族の男性とは異なる、それ以外の家庭の男性との結婚ともなれば、皇女がたにもそれなりの覚悟というか、準備が必要なのではないか……ということを、木下道雄侍従次長(当時)が進言しています。
こうして天皇家の未婚の3人の内親王がたは、ご両親である両陛下からの自立を促す目的で、皇居内にあった「呉竹寮(くれたけりょう)」と呼ばれる建物内で共同生活を送ることになりました。すでに長女である成子内親王は東久邇宮家に嫁いでいるので、和子内親王が、妹お二人を監督なさったようです。
――呉竹寮ってはじめて聞きました。寮という名の通り、自活が基本だったんですか?
堀江 建物が老朽化し、すでに取り壊されてしまっていますから、現代ではあまり知られていないのも当然かもしれませんね。50年(昭和25年)2月号の「改造」という雑誌によると、毎週土曜日が母宮である香淳皇后の公式訪問日でした。それ以外でも、たとえば金曜日が母娘そろって同じ先生にピアノを習う日だったので、平均で週3回ほどは呉竹寮内で母娘は面会しておられますね。
それでも主には姉妹だけでの生活であり、家事も共同で行いました。炊事は3人の内親王でこなし、献立も姉妹会議で決定。50年時点ですでに内親王がたが家計はすべてご自分でやりくりし、家計簿もお付けになっていたとのこと。