皇室が揺れた、プリンセスの結婚延期と「破談」! 「巨額の一時金」と3人のお相手候補の行方は?
皇室が特別な存在であることを日本中が改めて再認識する機会となった、平成から令和への改元。「皇族はスーパースター」と語る歴史エッセイストの堀江宏樹さんに、歴史に眠る破天荒な「皇族」エピソードを教えてもらいます!
――今回からお話いただくのは、昭和天皇の三女にあたる孝宮和子(たかのみや・かずこ)内親王のご結婚生活ですね。
堀江宏樹氏(以下、堀江) はい。和子内親王の人生は、本当にドラマティックなものでした。そしてこの方ほど、マスコミから注目される結婚生活を経験した皇女は、過去にはいなかったでしょう。ご成婚まで何回もお相手が浮上しては消え、を繰り返していますからね。そしてご結婚後も、本当にいろいろと事件がおありでした。
――ご結婚されるまでに、どんな方が内親王のお相手候補になってきたのですか?
堀江 これがかなり複雑な経緯をたどっているのですね。
天皇の娘である内親王の嫁ぎ先は皇族であるべき、という昔ながらのルールに基づき、戦後の1946年、16歳になっていた和子内親王の結婚相手として、賀陽宮邦寿(かやのみや・くになが)王のお名前が挙がっています。これが1人目のお相手候補でした。
しかし、和子内親王の母宮である香淳皇后が結婚に反対を表明なさいました。香淳皇后には、賀陽宮家の家風にお気に召さない点があったこと。そして、結婚するのに16歳はあまりにも早いのではないかという声もありました。
――しかし、お相手の名前が世に出てしまった後で婚約を取りやめるのは、困難も多いのでは?
堀江 このときも、今回の眞子さまの件同様、「結婚延期」とまずは表明されました。すぐに縁談が潰れることはなかったんです。これにも注目したいですね。結婚延期が、破談希望の婉曲表現として使われているからです。
――眞子さまと小室さんの「結婚延期」にも、そういう意味が込められていたのでしょうか?
堀江 恐らく……。話が脱線しますが、日本国憲法には「婚姻は、両性の合意のみに基いて成立」という文言があります。現代の眞子さまと小室さんのケースでも、結婚を考える当人たちの意思が反映されていなくてはならず、秋篠宮さまも「結婚を延期させる」以上の実力行使はできない、というご事情はあるかと思われます。
和子内親王の結婚延期中には、昭和天皇も、「(旧)皇族に皇女が嫁ぐ」というルール自体が、血縁の近さなどが理由で問題という態度を明確に示され、和子内親王と賀陽宮家との縁談は解消されました。これ以降、皇女の結婚相手は、必ずしも皇族に限らないでもよいということになります。
――昭和天皇のそうした意向が、ルール変更の背景にあったんですね。