実家の将来は“安泰”と思っていたが……「おかしいなと思った」母の言動と、あっという間に崩れた生活
“「ヨロヨロ」と生き、「ドタリ」と倒れ、誰かの世話になって生き続ける”
――『百まで生きる覚悟』春日キスヨ(光文社)
そんな「ヨロヨロ・ドタリ」期を迎えた老親と、家族はどう向き合っていくのか考えるシリーズ。
これまで、晩年になって大きく変わった夫婦の関係をいくつかご紹介してきた。変わるのは夫婦関係だけではない。当然のことながら、子どもと老親の関係も変わっていく。子どもにとっては、いつまでも親は親だ。それでも、親が老いていくと変わらざるを得ないものがあるのもまたつらい現実だ。
実家の将来は安泰だと思っていた
今野八重子さん(仮名・56)の実家は、車で1時間ほどのところにある。昔ながらの農村地帯で、父親の次郎さん(仮名・79)と母親の昌子さん(仮名・78)も長年米や野菜をつくってきた。両親と同居している弟夫婦は共働き。晩婚だったので子どもは小さかったが、両親は健康で農作業もまだ十分現役で続けられそうだったし、農繁期には弟も両親を手伝っていた。今野さんは頻繁に里帰りしては米や旬の野菜をもらって帰ってきており、いわば“いいとこどり”の生活に満足していた。実家の将来は安泰だと思っていた。
そんな安定した生活が崩れるのは、あっという間だった。異変を感じたのは2年前の年末のこと。
「毎年、実家でとれた餅米で、一族総出で餅つきをするんです。その采配をふるうのは母。私や弟夫婦の出る幕がないくらいでした。それがこの年、母は餅つきの手順がわからなくなったんです。おかしいなと思って、父が病院に連れていったら、認知症と診断されました」
今野さん家族のショックが大きかったのは言うまでもない。それから昌子さんはふさぎ込むようになり、坂道を転げ落ちるように状態は悪化していった。何度も同じ話を繰り返し、料理をするのも難しくなった。
介護サービスを受けることになったが、毎日朝から晩まで休むことなく田んぼや畑に出て働いていた人だったから、デイサービスに“遊びに行く”ということに、どうしても罪悪感がぬぐえないようだった。働き者の昌子さんの切ない感情だ。
「『何もしない』という状態が申し訳ないと思っているようで、デイサービスから迎えのバスが来ても、何度もトイレに行ってなかなかバスに乗ろうとしないんです」
そんな昌子さんを目の当たりにして、次郎さんにも複雑な感情が生まれた。
「父は古い考えの人ですが、同居しているお嫁さんに母の面倒をみてもらうわけにはいかない、と父が家事をするようになりました。弟夫婦と同居はしているのですが、台所は別だったんです。一度お嫁さんが食事をつくってくれたのですが、口に合わないと言って、断ってしまって……」
昌子さんはトイレの失敗も増えた。
「パンツやズボンを汚してしまうんです。父はそれを洗うのが面倒らしく、汚れ物はそのたびに捨てているというんです。洗えとも言えないので、衣類を安く買える店を教えるくらいしかできませんでした」
次郎さんは、一人奮闘していた。しかし、次郎さんは元気だったから農業を続けたい。にもかかわらず、昌子さんに手がかかるため田畑に出ることができなくなり、イライラが募っていった。