自社の不正を暴く“高卒女子”の活躍を描いた韓国映画『サムジンカンパニー1995』、より深く理解する4つのポイント
だからこそ本作は、多少非現実的に映ったとしても、社会のヒエラルキーの中で不可視な存在となっていた彼女たちを主人公に置き、彼女たちの連帯が権威的な力に立ち向かって勝利するという構図が必要だったのだろう。
めげずに大きな力に立ち向かい、TOEICのテストにもクリアして「高卒」のレッテルから解放されて出世街道を意気揚々と突き進む彼女たちの姿は、社会におけるジェンダーと学歴の不均衡の根本的解決を示してはいないが、それでも努力や勇気で変化を起こせるというメッセージは一定の有効性を持つものといえるだろう。
韓国は、80年代に軍事独裁という巨大な敵を倒した後、90年代の闘いは、民主化への歩みとともに個人の暮らしの向上が運動の目的となっていった。その中で大学の学費引き上げ阻止や障害者の就職差別撤廃が盛んになり、人権や環境問題を訴える市民団体も急激に増えていった。
こうした運動は、非正規・外国人労働者や難民保護の問題など、さらに細分化して現在に至っており、さまざまな面から「権力」を監視する社会的装置として機能している。韓国で今も毎日のようにデモや集会が開かれているという事実は、それだけ社会に問題が多いという意味でもあるが、市民が自らの手で生活を向上させ権利を勝ち取ることを信じて実践している、社会の健全さの証しでもある。本作もまたそのような文脈の中で捉えることが可能ではないだろうか。
95年は、三豊(サンプン)百貨店の建物が崩壊し、多くの人が犠牲になる大惨事が起きた年であることも忘れてはならない。『はちどり』で描かれた94年の聖水(ソンス)大橋の崩落に続いて、軍事独裁時代の不正や腐敗が原因の手抜き工事の結果が、最悪な形で表れてしまったのだ。
本作は、観客をスカッとさせてくれるお仕事コメディではあるが、こうした歴史的事実も踏まえると、「新韓国」が真に乗り越えなければならないもの、そしていまだ乗り越えられていないものに想いをはせざるを得ない、深い余韻をもたらす作品なのである。
崔盛旭(チェ・ソンウク)
1969年韓国生まれ。映画研究者。明治学院大学大学院で芸術学(映画専攻)博士号取得。著書に『今井正 戦時と戦後のあいだ』(クレイン)、共著に『韓国映画で学ぶ韓国社会と歴史』(キネマ旬報社)、『日本映画は生きている 第4巻 スクリーンのなかの他者』(岩波書店)など。韓国映画の魅力を、文化や社会的背景を交えながら伝える仕事に取り組んでいる。