芸能
[連載]崔盛旭の『映画で学ぶ、韓国近現代史』
自社の不正を暴く“高卒女子”の活躍を描いた韓国映画『サムジンカンパニー1995』、より深く理解する4つのポイント
2021/07/16 19:00
ジェンダー平等や男性中心社会からの脱却がこれまで以上に重要になっている現在、映画を見て最も気になるのが、ジャヨンら高卒女性社員たちの立場ではないだろうか。私がやっとの思いで就職を果たした96年にも、会社には高卒の女性社員が大勢いて、同期の大卒女性が私服なのに対して、なぜか彼女たちだけが制服を着ていた。
つまり、社内では高卒かどうかが一目でわかるようになっており、掃除やお茶くみ、部長の机の花瓶に毎朝新しい花を挿しておくのが仕事だった彼女たちに、ほかの社員も平気で用を言いつけられる仕組みだったのだ。そんな彼女たちの多くは、就職のための「女商」(ヨサン)と呼ばれる高校の出身者だった。
韓国では経済的な事情、あるいは「娘」という理由だけで、優秀であるにもかかわらず「女商」に進学せざるを得なかった女性が多かった。『82年生まれ、キム・ジヨン』や『はちどり』など、これまでにコラムで取り上げた作品でも描かれていたように、男尊女卑の強い韓国では、学業において女性が男性の犠牲になることが少なくない。
だが、それ以上に問題なのは、高卒であるという理由だけで彼女たちを下に見て雑用を押し付け、それを当然と考えてきた男性中心社会の現実だろう(同時に、女性同士でも大卒か高卒かでヒエラルキーを作ろうとする上下関係を重視する社会の根深さも描かれている)。さらに、彼女たちの仕事内容から、入社時に実力よりも容貌を重視する会社も多く、「女商」では勉強よりもダイエットや整形手術が盛んだと社会問題にもなった。