38歳、いろんな不安で冷えた心が息を吹き返す『しあわせは食べて寝て待て』――ショウガ紅茶のように体が温まる一冊
時短、カンタン、ヘルシー、がっつり……世のレシピ本もいろいろ。今注目したい食の本を、フードライター白央篤司が毎月1冊選んで、料理を実践しつつご紹介!
今月の1冊:『しあわせは食べて寝て待て』水凪トリ 著
こういう本が読みたかった。
一気に読んでなんだか……おなかが温かくなったような気がした。ショウガ紅茶を飲んだ後のような、おいしいお粥をいただいた後のような。もう一度じっくり味わって読んで、肩の力が抜けて、自分が少し楽になっているのを感じた。
主人公の麦巻さとこは38歳、「一生つきあう病気」を抱えてしまい、会社を退職。実家も頼れず、週4のパートでギリギリの生活を続けている。日常生活は一応おくれるが、無理するとすぐに体が弱る。だから、仕事を増やすのは難しい。もっと安いところに越そうか……と考えていたとき、築45年の団地物件に案内された。そのとき居合わせたのが、大家であるおばあさん。
彼女はさとこの不調に気づき、ある食べものをすすめる。半信半疑で試すさとこ……と、ここから広がるのが薬膳の話。「あんずはノドを潤す」「梅雨のときは黄色い食材が良い」などなど、食と体の関係が描かれる。作者の水凪トリさんは主人公同様に持病があり、体調を整えるため薬膳を意識し始めたそう。いろいろ実践されて、効果を感じたものを作中に描いていると「あとがき」にある。
私が「信頼できるなあ……」と感じたのは、物語の早々で「(薬膳は)薬じゃない」と提示されること。食べもので症状が改善しても、それはいろいろ良い条件が重なったからかもしれないと、いたずらに効能をうたわない描き方に好感を抱いた。さとこは次第にのめり込み、薬膳に詳しい大家さんの「息子」なる人物に「いろいろ教えてください」と頭を下げるのだが、「病人には責任が持てないので」ときっぱり拒絶される。ここも誠意ある展開だなと感じ入った。
そう、繰り返すが食べものは決して「薬」にはならない。健康な状態で、好調をキープするためには大事なことだけれど、病を治す力は食物にはないのだ。
物語は薬膳を小道具にしつつ、さとこの生き方を軸に進んでいく。以前の勤め先で受けた中傷、思い切り働けない負い目、何より将来への不安……もろもろで心はすっかり冷えて、萎縮している。そんな彼女が、人生を達観している大家さん、その「息子」、新しい会社で関わる人々から、ささやかな善意を受け、ちょっとずつ心の息を吹き返していく。その描かれ方がなんとも穏やかで、やさしくて、ほのかな希望を感じさせてくれて。
今はいいことないかもしれない、つらいかもしれない。でも「運が巡ってきたときのために、少しでも元気になっておきなさいよ」と、大家さんはさとこにアドバイスする。果報は寝て待て、タイトルに関わってくるメッセージだ。人間なかなか毎日「本調子!」というわけにはいかない。食欲が湧かない日だってある。けれどまあ、調子が良くなったきたとき、運が向いてきたとき、きちんとその運を受け止めるためにも、何かしら食べておこう。日々食べることをおざなりにしないようにしよう。体が求めているものを考えて、自分に滋養を与えよう――といった作者の思いを、私は『しあわせは食べて寝て待て』から感じた。
コロナ禍が長引き、「非日常」がどんどん日常化してしまっている。つらいニュース、やりきれないニュースも多い昨今、心に温かみを求めている人に強くおすすめしたい一冊。そして第1巻の最終話、なかなかに気になる終わり方なんである。さとこの身にいいことが起こりそうで、次巻の展開が楽しみ。新刊が待ち遠しい。
白央篤司(はくおう・あつし)
フードライター。郷土料理やローカルフードを取材しつつ、 料理に苦手意識を持っている人やがんばりすぎる人に向けて、 より気軽に身近に楽しめるレシピや料理法を紹介。著書に『自炊力』『にっぽんのおにぎり』『ジャパめし』など。