カルチャー
[サイジョの本棚]

誰も信用できない不安と、家族から受ける屈辱――認知症患者の日常を追体験できる村井理子『全員悪人』の悲しさ

2021/06/12 16:30
保田夏子

 人に対する記憶もあいまいで自信が持てないから、水道業者や「夫の友人」かもしれない男性など、よく知らない相手にはつい話を合わせてしまう。そんな違和感ばかりの日常でたまったストレスが、夫や義理の娘といった信頼できる家族の前で手ひどく暴発してしまう――という老いによる負の循環が、やるせなくもどかしい。

 夫を偽物と決めつけ暴力を振るってしまったり、事故を起こしても車の運転をやめようとしなかったり、嫁や介護士が金品を盗んだと言い張ったりする主人公は、よく聞く認知症の患者そのものだ。しかし、その背景には彼女なりの苦悩と恐怖があり、理不尽な激高は、全員悪人の世界から自身と家族を必死に守ろうとした結果でもある。外部からは理解し難い主人公の言い分を淡々とあぶり出す本作には、認知症を患った高齢者のケアの困難さが、くっきり示されている。それでも絶望だけに終わらないのは、彼/彼女らの心中を少しでも理解しようと願う、著者のタフであたたかい視線が常に感じられるからだろう。

 認知症患者に限らず他者の心は理解できるものではないが、「理解しよう」と想像力を懸命に働かせ、相手に思いをはせることで、おぼろげに見えてくるものはある。それが時に、他者とのコミュニケーションを深めたり、分断を埋める助けになってくれるものだが、今まさに介護を担い疲弊している人々に、被介護者の心中を冷静に推し量れというのは酷な要求だ。『全員悪人』はその労力を、いわば少し肩代わりし、老いや認知症による理不尽な言動を優しく受け止めざるを得ない介護者の痛みや疲れを、少しでも軽減しようと手を差し伸べる強度を持っている。

 そして超高齢化社会を突き進んでいく日本において、介護や認知症にまつわる問題は誰にとっても他人事ではない。今は関わりがなくても、家族や自分自身、地域の問題として、ほとんどの人がいずれ対峙せざるを得なくなるだろう。エンタメ作品としても読みやすい本作は、この問題について触れる第一歩としても適している。ひとりでも多くの人が認知症患者、またその介護者への理解を深めれば、おのずとそのぶん、社会の選択も変わる。高齢者やその介護を担う人々――つまりは私たちが、より生きやすい世界につながっていくはずだ。

(保田夏子)

※2021年6月12日初出の内容に、一部修正を加えています

最終更新:2021/06/14 20:55
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