皇太子のお后候補から一転! 結婚に苦労したプリンセスの“彼氏”と複雑すぎる家庭事情
皇室が特別な存在であることを日本中が改めて再認識する機会となった、平成から令和への改元。「皇族はスーパースター」と語る歴史エッセイストの堀江宏樹さんに、歴史に眠る破天荒な「皇族」エピソードを教えてもらいます!
――これまで2回にわたって愛新覚羅慧生(あいしんかくら・えいせい)さんの悲恋についてうかがってきました。慧生さんのほかに結婚に苦労なさったプリンセスが、昭和時代にはおられると聞きましたが……。
堀江宏樹氏(以下、堀江) そうですね。今回お話したいのは、激動の昭和を生き抜いた、旧姓・久邇通子さんという旧皇族の女性のお話です。
――久邇家といえば、前にも出てきた久邇宮家ですよね?
堀江 はい。運命が一族に共通しているのなら、久邇家(旧・久邇宮家)は結婚問題で代々モメるということになっているのかもしれないと言えるほど、騒動が尽きないんですね。
久邇通子さんは昭和8年のお生まれ。過去の連載内では、さんざんな取り上げ方になってしまいましたが、婚約破棄問題を引き起こした朝融王の第3女です。東京・渋谷にあった2万坪の大豪邸(現在の広尾、聖心女子大がある場所)で生まれた通子さんは、生粋のプリンセスといえるでしょう。しかし、その家庭事情は複雑でした。
――もしかして、朝融王はご結婚後も女性に対して“ヤンチャ”だったということですか?
堀江 例の婚約破棄スキャンダルの直後、元・婚約者の酒井菊子さんが前田利為(まえだ・としなり)侯爵にめでたく嫁いだと聞くと、「自分も負けていられない」という謎の闘争心が朝融王の中に芽生え、焦りだします。しかし、すべてを知った上で受け入れてくれた、伏見宮家の知子女王と結婚することができました。知子女王の父宮の「理解」にも助けられたようです。
ところが……元号が大正から昭和に変わったころ、屋敷の侍女に朝融王は手を出し(一説には襲いかかり)、子どもを産ませるという大事件を起こしています。詳細は不明ながら子どもは侍女と引き離され、ある農家に養育費として大金を与えるかわり、養子に出されることになりました。子どもを養子に出すというのは、娘を少しでも有利な条件で結婚させたいからという、侍女の父親の希望でもあったそうです。
ただ、その侍女はいったん実家に戻されていたものの、宮家へ舞い戻り、その広大な敷地内に一軒家を与えられて暮らしていた時期もあるようです。
――それは側室になったということですか?
堀江 いや、そういうわけでもなさそうですね。仔細は不明ですが、誰かと結婚させられる形で、その侍女は再び宮家から姿を消しました。すべては体面維持のためでしょうね。
知子女王との間に授かったお子が二人つづけて女の子だったため、侍女に手を出した理由として、朝融王が「男の子がほしくなった」からと釈明されることもありますが、それでは世間の理解を得るには難しいものがあります。しかし、知子女王は、この侍女との一件についても「自分の父には知らせてくれるな!」と夫・朝融王を庇いました。