ローラは、なぜ天真爛漫キャラなのに「暗い」のか? 『徹子の部屋』で明かした“家族の話”に違和感
親しい人を家族呼びするといえば、中森明菜が思い浮かぶ。フリーのディレクター・木村恵子氏の著作『哀しい性』(講談社)によると、明菜が語った彼女の家庭環境は、いいものとは決して言えなかった。家は貧しく、お父さんは女性問題を起こす。お母さんが歌手志望だったことともあって「有名になって、稼いで来い」という家族の願いをかなえるために芸能界入りする。スターになると、家族は明菜に内緒で当時の事務所から借金をし、明菜が自殺未遂をはかっても、その気持ちを理解しようともせず、入院中の彼女にかけた第一声は「事務所とレコード会社に謝れ」だったそうだ。
本来優しく包んでくれるはずの家族が、そうしてはくれない。その悲しみのせいか、明菜は信頼している人、大事な人を家族呼びするようになる。木村氏をお母さんと呼び、元恋人の“マッチ”こと近藤真彦はお兄ちゃん、マッチと破局後に知り合った友達以上恋人未満の付き人男性のこともお兄ちゃんと呼んでいたそうだ。さらに気に入った女性ライターをお姉ちゃんと呼び、仕事を頼むこともあったという。
明菜は『ミュージックステーション』(テレビ朝日系)に出演する際、「ここ(楽屋)は家族しか入れないから。お母さんは入って」と言って、所属事務所の社長ですら入室を許さなかった場所に、木村氏を招き入れたという。いじらしいほど家族に対する強い思い入れがあることがうかがえるが、それは同時に、明菜に家族呼びされたら、明菜の強い思い入れに応える覚悟を必要とするということでもある。
明菜による過度な束縛や、その不安定さに耐えきれず、木村氏をはじめとした“家族”は、彼女から離れていくが、同書を読む限り、明菜は「血がつながっていてもいなくても、人間関係には距離感は必要」ということに気づいていないようだ。
話をローラに戻そう。大人になったローラは、親の離婚や2人の母親がいることに今は感謝していると言い、「どんな形になっても、親が幸せならうれしい」と話していた。離婚が珍しいものではなくなり、離婚したからといって子どもが不幸せとは言い切れないケースもたくさんあるので、ローラの言葉はポジティブなメッセージになり得るだろう。
しかし、やっぱり暗い子ども時代を引きずっているのではないかと思わされることもある。「親が幸せならうれしい」とローラは言ったが、これは経済的、感情的に親に搾取される子どもが良く言うフレーズだと感じるからである。家族観は、人によって違うので何とも言えないが、家族はそれぞれが自分の幸せを追求し、困ったことがあれば助け合うのが基本であって、子どもが親の幸せを願うという「家族との距離感」は、私にとって違和感がある。
天真爛漫でかわいく、ちょっとおバカなキャラとしてブレークしたローラだが、今や社会問題にも言及するなど、消費文明に踊らされることなく、自分の考えに基づいて人生を組み立てられるタレントになった。親孝行というウェットな日本文化に踊らされることなく、今後もますます活躍していただきたいものだ。