桂文枝の亡き妻との“美談”、森会長・二階幹事長の失言――マスコミの「男性目線」が助長する社会の女性蔑視
ありえない! が、男性社会だからこその現象でもある。もちろんマスコミだけではない。IOCも組織委員会も、森会長を慰留、留任させる意向を早々に表明したことで、女性蔑視を事実上容認した。さらにその“最高峰”たる存在が自民党の二階俊博幹事長だった。
会見で森“女性蔑視”発言について聞かれた二階幹事長は「発言を撤回したから問題ない」と不快そうに話し、また多数の五輪ボランティアが辞退していることについても、辞退がまるでボランティアたちの一時の気の迷いであり、人数が足らなければ再募集すると、まるで恫喝するように言い放ったからだ(ついでに言いたいが、二階幹事長は話しながら手でマスクをずらし鼻が丸出しになっていた。口まで出ていた時もあった。気になって仕方なかった。政治家がこんなマスクの着け方でいいのかと)。
つまり、今回の森会長の女性蔑視問題は、決して森会長個人の特性や資質の問題だけにはとどまらないということだ。この国の為政者や影響力を持つ多くの(特に高齢)男性の認識は、“こんなもの”なのだから。政界やマスコミ界だけでなく、多くの企業や団体、ご近所にもいるだろう。こんな感じのプチ権力者たちが。
そして、彼らは人から意見されるのが大嫌いだ。森会長の逆ギレ会見も“若造や女どもに意見された”“痛いところを突かれた”ことが許せなかったのだろう。だからこそ今回の「森女性差別発言」は日本全体の、特に男性の問題でもある。これまで女性が声を上げても(たとえば2017年の世界的#MeToo運動でも)、女性差別主義者にとっては屁でもないことだった。彼らは(差別している)女性の意見なんて、はなから聞くつもりはないから。だからこそ、今回の一件を機に、社会全体(特に男性)が声を上げる必要があるのではないか。
そして桂文枝である。芸の肥やしなどと嘯いて、結果、女性を軽視することにはまるで無自覚。マスコミも弱い者は徹底的に叩くが、大物男性の不倫などには目をつぶる。そんな風潮は一刻も早くやめた方がいい。その結果が今回の森発言、そして蔓延する社会全体の女性蔑視につながっているのだから。